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最高裁判所第二小法廷 平成4年(オ)2122号 判決

上告人

佐藤茂

右訴訟代理人弁護士

中村洋二郎

中村周而

土屋俊幸

金子修

上条貞夫

志村新

中野麻美

工藤和雄

鈴木俊

川上耕

高橋勝

足立定夫

味岡申宰

被上告人

株式会社第四銀行

右代表者代表取締役

鈴木治輔

右訴訟代理人弁護士

石田浩輔

坂井熙一

斉木悦男

安西愈

井上克樹

外井浩志

込田晶代

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人中村洋二郎、同中村周而、同土屋俊幸、同金子修、同上条貞夫、同志村新、同中野麻美、同工藤和雄、同鈴木俊、同川上耕、同高橋勝、同足立定夫、同味岡申宰の上告理由について

一  事実関係

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認し得ないではなく、その過程に所論の違法はない。原審の適法に確定した事実関係(右の事実を含む。)の概要は、以下のとおりである。

1  被上告人は、肩書地に本店を有する地方銀行である。上告人(昭和四年一一月四日生)は、昭和二八年四月に被上告人に入行し、昭和五四年八月に部長補佐、昭和六一年一二月に業務役となり、平成元年一一月四日をもって六〇歳達齢により定年退職した。

2  従来、被上告人では、就業規則に定める定年である満五五歳になっても在職を認められる行員が多かったが、第四銀行職員組合(昭和二一年結成。昭和二四年に「第四銀行従業員組合」と改称。以下「組合」という。)から定年を五八歳に延長することを繰り返し要求されたにもかかわらず、被上告人は、これに応じず、就業規則上では一貫して満五五歳を定年としてきた。昭和五八年に後記の変更がされるまで適用されていた被上告人の就業規則は、昭和四〇年改正後のものであるが、そこでは、「職員の停年は満五五歳とする。但し、願出により引続き在職を必要と認めた者については三年間を限度として、停年後在職を命ずることがある。」と定められており、また、退職金規定では、「この規定において停年とは満五五歳をいう。」と規定され、定年後在職を認められた者の退職金につき、五五歳に達した時の本俸を基礎として五五歳までの勤続年数により計算するものとし、五五歳以降の勤務に対しては一定割合の特別慰労金を支給する旨が定められていた。

3  被上告人においては、行員が定年後も在職を希望する場合には、在職許可の願書に健康診断書等を添えて提出することとされ、願い出が認められると、「停年後在職発令通知書」が交付されていた。実際の運用状況をみると、男子行員については、健康上の理由等で勤務に耐えない者を除いて、希望者の定年後在職が認められてきていた。昭和四二年度から昭和五七年度までの一六年間をみると、男子行員のうち約九三パーセントが定年後も在職し、その約七、八割が五八歳まで勤務している。しかし、他方、女子行員については、一名を除いて定年後在職は認められていない。また、昭和三〇年代の被上告人と組合との交渉においては、五五歳を超えて在職中の行員につき、定年前の行員と区別して、原則として昇給させないことで妥結したこともあり、被上告人が、定年後の定期昇給について、実情に応じて個々に検討して昇給させているが、定年制は尊重したい、五五歳以上は恩恵的なものであると回答したこともあった上、定年後在職期間は、退職金の計算上勤続年数に算入されず、福利厚生制度の適用もなくなるなど、定年後の在職が、上乗せ措置であり、定年前の在職とは異なる特種の待遇であるという建前は崩されていない。このように、行員が、必ず定年後在職制度の適用を受けることができ、かつ、その適用を受けたときには、五五歳以後も当然に給与、定期昇給の実施、賞与、役職等について五四歳時の水準を下回らない労働条件で五八歳まで勤務することができるという既得の権利ないし法的地位を有していたものではない。

4  昭和五〇年代に入ると、六〇歳定年制の実現を中心とする髙年齢労働者の雇用の安定を図る動きが活発化し、昭和五一年には髙年齢(五五歳以上)労働者を常用労働者の六パーセント以上雇用することを努力義務とする中高年齢者等の雇用の促進に関する特別措置法の改正が行われ、昭和五三年一〇月には、労働省主催の定年延長推進懇談会において、五五歳定年制が主流になっていた銀行業界等六業種に対し、定年を六〇歳に延長するよう要請がされた。昭和五四年ころまでには、六〇歳までの定年延長が課題であり、それに伴う賃金制度、退職金制度等の見直しの必要性があることについて、経済界及び労働界にある程度の共通認識が形成されてきた。こうした動向に対応して、都市銀行の多くは、昭和五六年四月から定年を六〇歳に延長し、地方銀行においても、昭和五七年ころから六〇歳定年制を採用する銀行が現れ始めた。被上告人に対しては、昭和五六年一〇月に新潟県知事から定年延長及び髙年齢者の雇用率六パーセントの実現について書面による要請があり、昭和五七年三月には、労働大臣から、六〇歳定年制の早期実施を求める要請があるとともに、定年延長問題に対する取組状況につき報告が求められた。

5  組合は、昭和五七年一〇月、定年延長に関する執行部案を可決し、被上告人に対し、定年を六〇歳とし、職務処遇、賃金及び退職金については現行制度及び体系を基本として継続する旨の定年延長要求を提出した。被上告人は、人件費の増加、人事の停滞等への影響も考慮しなければならず、定年延長をした場合の職位や賃金等の見直しを検討する必要があるとして、組合との交渉の後、右要求に対し、定年を五五歳から六〇歳に延長するが、現行本俸を基本本俸と加算本俸とに分割し、加算本俸は五五歳に達した日の翌月一日以降支給しないなどとする内容の回答をした。その後、五五歳以降の賃金水準の引上げを要求する組合との交渉が続けられた結果、昭和五八年三月八日、被上告人は、加算本俸の割合の減少、特別融資制度の新設等を内容とする修正回答をした。組合(行員三五四五名の約九〇パーセントの三二〇五名が加入していた。)では、支部長会議において定年延長要求を終息させることを確認し、職場討議を行い、執行部に対する批判もあったが、最終的には中央委員会により修正回答の受入れが決定された。そこで、被上告人と組合は、同月三〇日、右妥結内容に従って定年を延長することを内容とする労働協約を締結し、被上告人は、就業規則の定年条項、給与規定及び退職金規定を改正して、同年四月一日から六〇歳定年制(以下「本件定年制」という。)を実施した。

6  上告人は、昭和五九年一一月四日に五五歳になったが、本件定年制実施の結果、上告人の五五歳以後の給与等については、従前の定年後在職制度の下で定年後在職を認められた者についておおむね実施されていた労働条件による場合に比べて、次のような相違が生じた。

(一)  給与等

(1) 加算本俸分の不支給

五五歳未満の者を含め、従前の本俸を基本本俸、加算本俸に分割し、加算本俸は満五五歳に達した日の翌月一日以降支給しないこととされたため、従前は五四歳時の定例給与が引き続き支給されていたのが、加算本俸分(上告人のような事務行員については、月五万八一〇〇円)の支給がされなくなった。

(2) 役付手当の減額

従前は、定年後在職する者の役職が変更されることはなく、役付手当が減額されることもなかった。これに対し、本件定年制の下では、新設する職位を含め、職位に対応した手当に改定して支給することとされ、役職者は五七歳以降原則として新設する参事役、副参事役、業務役、副業務役に就くと定められた。上告人は、昭和六一年一一月に五七歳に達し、同年一二月に部長補佐から業務役の職に変更になったため、役付手当が五万円減額された。

(3) 定期昇給の不実施

従前は満五五歳以降も定期昇給が実施されていたのが、実施されなくなった。

(4) 賞与の減額

従前は、満五五歳以降も「(本俸+家族手当+役付手当)×6.8箇月(夏季3.3箇月、冬季3.5箇月)+資格別定額」と計算されていたのが、「(基本本俸+家族手当+役付手当)×3箇月(夏季1.5箇月、冬季1.5箇月)+資格別定額」と計算されることとなった。

(1)ないし(4)の変更の結果、五五歳に達した後に上告人が得た年間賃金は五四歳時のそれの六三ないし六七パーセントになり、上告人が従前の定年後在職制度の下で五五歳から五八歳までに得ることを期待することができた賃金合計額は、本件定年制の下で行われたのと同様のべースアップ等がされたという仮定をした場合、二八七〇万九七八五円であるのに対し、本件定年制の下で五五歳から五八歳までの間に得た賃金合計額は一九二八万〇一三三円であり、後者が九四二万九六五二円少なくなっている。なお、本件定年制の下で五五歳から六〇歳までに得た賃金合計額は、三〇七八万七二七八円である。

(二)  退職金

本件定年制の下では、五五歳に達した時の本俸を基礎として五五歳までの勤続年数により計算した額に五年間分の特別慰労金分を加算した額を満六〇歳定年時に支給することとされ、五五歳以上五八歳以下で自己都合等で退職した場合の退職金は、従前の定年後在職制度の下での計算よりも増額されることとなった。

上告人は、六〇歳退職時に一二二九万九〇〇〇円の退職金の支給を受けた。従前の定年後在職制度の下で五八歳退職を前提に計算すると、退職金と特別慰労金の合計が一二〇五万七三〇〇円となり、本件定年制による方が二四万一七〇〇円多い。

(三)  福利厚生制度

災害補償規定、家族年金制度その他の福利厚生制度は、五五歳から六〇歳まで延長適用されるようになり、弔慰金・傷害見舞金制度の支給率、支給年限が上積みされ、五五歳以上の世帯主行員に対する特別融資制度が新設され、既往の住宅貸付の返済負担を軽減するなどの措置が採られた。

7  被上告人の昭和五八年当時の行員の平均年齢は地方銀行の平均よりも高く、今後更に高齢化が進む見通しであり、六〇歳まで定年を延長すると、五五歳以上の行員数が逐年顕著に増加し、これらの行員の年間賃金総額は、それを五四歳時の賃金水準で支払うとなると、昭和五八年度は七億九三〇〇万円、昭和六〇年度は一三億二一〇〇万円、昭和六二年度は二七億三二〇〇万円、昭和六四年度は三四億九四〇〇万円に達する計算であった。また、定年延長によって管理職ポストの不足が拡大することが見込まれた。一方、当時の各種指標からすると、被上告人の経営効率及び収益力は十分といえるものではなかった。

8  五五歳定年を六〇歳に延長した多くの地方銀行の例をみると、職位は新設職位へ移行するものがほとんどであり、年間賃金は五四歳時のそれの七〇ないし八〇パーセントどまりで、五〇パーセント程度にしかならない銀行もあり、ベースアップは行われるものの、定期昇給は大部分の銀行で実施されず、賞与については年間三箇月程度が普通で、退職金は五五歳時で計算して加算金を支給する例が多い。定年延長後の年間賃金を昭和五八年前後を中心に全国の地方銀行十数行の公表された水準と比較すると、被上告人における五五歳から六〇歳までの間の賃金水準は最上位の部類に属する。また、全国家計調査による五五歳から五九歳までの世帯の一箇月の平均消費支出や新潟県下の五〇歳から五九歳までの男子労働者の月額賃金の平均と比較してみても、被上告人において上告人らの受ける年間賃金の月平均額はかなり高い。

二  本件請求

上告人は、本件定年制導入に関する就業規則の変更は、これに伴って従前の定年後在職制度の下で支給されることとなっていた賃金等の額を減額するものであり、上告人の既得の権利を侵害し、一方的に労働条件を不利益に変更するものであるから、上告人に対してはその効力を生じないとし、被上告人には、第一次的には六〇歳に達した時までの賃金差額の支払義務があり、少なくとも五八歳に達した時までの賃金差額の支払義務があると主張して、右賃金差額及びこれに対する遅延損害金の支払を求めている。

三  当裁判所の判断

1  新たな就業規則の作成又は変更によって労働者の既得の権利を奪い、労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは、原則として許されないが、労働条件の集合的処理、特にその統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質からいって、当該規則条項が合理的なものである限り、個々の労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒むことは許されない。そして、右にいう当該規則条項が合理的なものであるとは、当該就業規則の作成又は変更が、その必要性及び内容の両面からみて、それによって労働者が被ることになる不利益の程度を考慮しても、なお当該労使関係における当該条項の法的規範性を是認することができるだけの合理性を有するものであることをいい、特に、賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更については、当該条項が、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合において、その効力を生ずるものというべきである。右の合理性の有無は、具体的には、就業規則の変更によって労働者が被る不利益の程度、使用者側の変更の必要性の内容・程度、変更後の就業規則の内容自体の相当性、代償措置その他関連する他の労働条件の改善状況、労働組合等との交渉の経緯、他の労働組合又は他の従業員の対応、同種事項に関する我が国社会における一般的状況等を総合考慮して判断すべきである。以上は、当裁判所の判例の趣旨とするところである(最高裁昭和四〇年(オ)第一四五号同四三年一二月二五日大法廷判決・民集二二巻一三号三四五九頁、最高裁昭和五五年(オ)第三七九号、第九六九号同五八年一一月二五日第二小法廷判決・裁判集民事一四〇号五〇五頁、最高裁昭和六〇年(オ)第一〇四号同六三年二月一六日第三小法廷判決・民集四二巻二号六〇頁、最高裁平成三年(オ)第五八一号同四年七月一三日第二小法廷判決・裁判集民事一六五号一八五頁、最高裁平成五年(オ)第六五〇号同八年三月二六日第三小法廷判決・民集五〇巻四号一〇〇八頁参照)。

2  これを本件についてみると、定年後在職制度の前記のような運用実態にかんがみれば、勤務に耐える健康状態にある男子行員において、五八歳までの定年後在職をすることができることは確実であり、その間五四歳時の賃金水準等を下回ることのない労働条件で勤務することができると期待することも合理的ということができる。そうすると、本件定年制の実施に伴う就業規則の変更は、既得の権利を消滅、減少させるというものではないものの、その結果として、右のような合理的な期待に反して、五五歳以降の年間賃金が五四歳時のそれの六三ないし六七パーセントとなり、定年後在職制度の下で五八歳まで勤務して得られると期待することができた賃金等の額を六〇歳定年近くまで勤務しなければ得ることができなくなるというのであるから、勤務に耐える健康状態にある男子行員にとっては、実質的にみて労働条件を不利益に変更するに等しいものというべきである。そして、その実質的な不利益は、賃金という労働者にとって重要な労働条件に関するものであるから、本件就業規則の変更は、これを受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合に、その効力を生ずるものと解するのが相当である。

3  そこで、以下、右変更の合理性につき、前示の諸事情に照らして検討する。

まず、本件就業規則の変更により、退職時までの賃金総額の名目額が減少することはなく、退職金については特段の不利益はないものの、従前の定年後在職制度の下で得られると期待することができた金額を二年近くも長く働いてようやく得ることができるというのであるから、この不利益はかなり大きなものである。特に、従来の定年である五五歳を間近に控え、五八歳まで定年後在職制度の適用を受けて五四歳時の賃金を下回ることのない賃金を得られることを前提として将来の生活設計をしていた行員にとっては、五八歳から六〇歳まで退職時期が延びること及びそれに伴う利益はほとんど意味を持たないから、相当の不利益とみざるを得ない。

しかしながら、労働力人口の高齢化を背景として、昭和五〇年代から定年延長等による高年齢労働者の雇用の安定を図る動きが活発になり、昭和五八年当時は、六〇歳定年制の実現が、いわば国家的な政策課題とされ、社会的に強く要請されていたのであり、このような状況の下で、被上告人に対しては、労働大臣や県知事から定年延長の早期実施の要請があり、組合からも同様の提案がされていたというのである。したがって、定年延長問題は、被上告人においても、不可避的な課題として早急に解決することが求められていたということができ、定年延長の高度の必要性があったことは、十分にこれを肯定することができる。一方、定年延長は、年功賃金による人件費の負担増加を伴うのみならず、中髙年齢労働者の役職不足を深刻化し、企業活力を低下させる要因ともなることは明らかである。そうすると、定年延長に伴う人件費の増大、人事の停滞等を抑えることは経営上必要なことといわざるを得ず、特に被上告人においては、中髙年齢層行員の比率が地方銀行の平均よりも高く、今後更に高齢化が進み、役職不足も拡大する見通しである反面、経営効率及び収益力が十分とはいえない状況にあったというのであるから、従前の定年である五五歳以降の賃金水準等を見直し、これを変更する必要性も高度なものであったということができる。そして、円滑な定年延長の導入の必要等からすると、このときに、全行員の入行以降の賃金体系、賃金水準を抜本的に改めることとせず、従前の定年である五五歳以降の労働条件のみを修正したことも、やむを得ないところといえる。

また、従前の五五歳以降の労働条件は既得の権利とまではいえない上、変更後の就業規則に基づく五五歳以降の労働条件の内容は、五五歳定年を六〇歳に延長した多くの地方銀行の例とほぼ同様の態様であって、その賃金水準も、他行の賃金水準や社会一般の賃金水準と比較して、かなり高いものである。

定年が五五歳から六〇歳まで延長されたことは、女子行員や健康上支障のある男子行員にとっては、明らかな労働条件の改善であり、健康上支障のない男子行員にとっても、五八歳よりも二年間定年が延長され、健康上多少問題が生じても、六〇歳まで安定した雇用が確保されるという利益は、決して小さいものではない。また、福利厚生制度の適用延長や拡充、特別融資制度の新設等の措置が採られていることは、年間賃金の減額に対する直接的な代償措置とはいえないが、本件定年制導入に関連するものであり、これによる不利益を緩和するものということができる。

さらに、本件就業規則の変更は、行員の約九〇パーセントで組織されている組合(記録によれば、第一審判決の認定するとおり、五〇歳以上の行員についても、その約六割が組合員であったことがうかがわれる。)との交渉、合意を経て労働協約を締結した上で行われたものであるから、変更後の就業規則の内容は労使間の利益調整がされた結果としての合理的なものであると一応推測することができ、また、その内容が統一的かつ画一的に処理すべき労働条件に係るものであることを考え合わせると、被上告人において就業規則による一体的な変更を図ることの必要性及び相当性を肯定することができる。上告人は、当時部長補佐であり、労働協約の定めにより組合への加入資格を認められておらず、組合を通じてその意思を反映させることのできない状況にあった旨主張するが、本件就業規則の変更が、変更の時点における非組合員である役職者のみに著しい不利益を及ぼすような労働条件を定めたものであるとは認められず、右主張事実のみをもって、非組合員にとっては、労使間の利益調整がされた内容のものであるという推測が成り立たず、その内容を不合理とみるべき事情があるということはできない。

以上によれば、本件就業規則の変更は、それによる実質的な不利益が大きく、五五歳まで一年半に迫っていた上告人にとって、いささか酷な事態を生じさせたことは想像するに難くないが、原審の認定に係るその余の諸事情を総合考慮するならば、なお、そのような不利益を法的に受忍させることもやむを得ない程度の高度の必要性に基づいた合理的な内容のものであると認めることができないものではない。

上告理由の指摘するとおり、不利益緩和のため、五五歳を目前に控えており、本件定年制の実施によって最も現実的な不利益を受ける者のために、定年後在職制度も一定期間残存させ、五五歳を迎える行員にいずれかを選択させるなどの経過措置を講ずることが望ましいことはいうまでもない。しかし、労働条件の集合的処理を建前とする就業規則の性質からして、原則的に、ある程度一律の定めとすることが要請され、また、本件就業規則の変更による不利益が、合理的な期待を損なうにとどまるものであり、法的には、既得権を奪うものと評価することまではできないことなどを考え合わせると、本件においては、このような経過措置がないからといって、前記判断を左右するとまではいえない。

したがって、本件定年制導入に伴う就業規則の変更は、上告人に対しても効力を生ずるものというべきである。

四  以上に説示したところによれば、右と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、その実質は、原審の専権に属する事実の認定を非難するか、又は右と異なる見解に基づいて原判決の法令違背若しくは条約違背をいうものであって、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官河合伸一の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官河合伸一の反対意見は、次のとおりである。

一  本件は、被上告人に雇用された労働者であった上告人が、就業規則の変更により、賃金等の労働条件に関して実質的な不利益を受けた事案である。多数意見は、このような就業規則の変更であっても、その実質的な不利益を労働者に法的に受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合は、有効であり、右合理性の有無は、その掲げるような具体的諸事情を総合考慮して判断すべきであるとする。

多数意見の右趣旨については、私も異を唱えるものではない。しかし、私は、本件就業規則の変更によって上告人が受けた不利益の内容及び程度からして、これを緩和する何らの措置も設けずにされた本件変更は、特別の事情がない限り、合理的とはいえないと考えるものである。

二  本件就業規則の変更により、従前の定年後在職制度が廃止され、本件定年制が新設されたのであるが、右変更が実施される前日の昭和五八年三月三一日において、上告人は五三歳四箇月に達していた。そして、当時、上告人は、被上告人の男子行員として勤務に耐える健康状態にあったから、もし右変更により定年後在職制度が廃止されなければ、一年八箇月足らずの後には、五八歳までの右定年後在職制度の適用を受けることができたことは、確実であった。しかるに、右変更の結果、上告人が五五歳達齢時以降五八歳達齢までの間に本件定年制によって現実に得た賃金は、従前の定年後在職制度によって同期間に得られたはずの賃金に比較し、著しく減額されたものとなった。その減額の程度は多数意見の要約するところであるが、これを別言すれば、上告人は、五五歳からの三年間、毎年、賃金の三七ないし三三パーセント、金額にして年平均三一四万円余を失うこととなったというのである。このような賃金の減額が、三年間にわたり、上告人の日々の生活に深刻な打撃を与えるものであったことは、多言を要しないところである。

三  これに対し、本件就業規則の変更に伴い上告人が直接に得た利益として考慮の対象となるのは、次のとおりであり、これらを総合しても、とうてい右賃金の減額による不利益を償うにはほど遠いものであった。

1  五八歳達齢後六〇歳定年時までの雇用と賃金

上告人は、本件定年制の新設により、従前の定年後在職制度による期間を超えて、五八歳達齢時から更に二年間、被上告人に雇用され、その間に賃金として合計一一五〇万円余を得た。しかし、上告人は、右の間、被上告人の行員として労務を提供していたものであるところ、右賃金の額がその提供労務の価値に対して過大であるとか、上告人が、もし被上告人に雇用されなければ、同期間、他に就職することが不可能であったなどの事情は認定されていないのであるから、右二年間の雇用と賃金をもって、前記の賃金減額を実質的に補うものということはできない。

2  退職金

上告人が六〇歳退職時に受けた退職金は、定年後在職制度の下で受けたはずの退職金及び特別慰労金の合計額より二四万円多かった。しかし、一般に退職金は賃金の後払いとしての性質も有するところ、上告人は定年後在職期間よりも二年多く被上告人と雇用関係にあったこと等からして、右増加額をもって前記賃金減額に対する代償ということはできない。

3  福利厚生制度

本件就業規則の変更に伴い、福利厚生制度についても、若干の改善が見られた。しかし、そのうち、災害補償、家族年金等は、所定の期間内に被災・死亡・廃疾等の事態が発生しなければ具体的な利益とはならないものであり、特別融資制度も、その必要のない者には意味がなく、いずれも前記賃金減額の代償とするに足りるものではない(右制度改善による利益それ自体を金額評価するとすれば、保険の考え方によるべきものであろうが、いずれにしてもさしたる金額にはならないであろう。)。

四  右のように、本件就業規則の変更は、上告人に対し、現実に多大な損失を被らせるものであるとともに、それを直接に埋め合わせる代償措置にはほとんど見るべきものがなく、全体として、上告人に対し、著しい不利益を及ぼすものであった。

もっとも、そのことから直ちに、右変更の効力が否定されるものではない。使用者による労働者の解雇が制限され、終身雇用が一応の前提とされてきた我が国の労働事情の下では、企業の存続ないし発展は個々の労働者の利益にもつながるものと観念される面があるから、就業規則の変更が企業の存続ないし発展のために必要かつ合理的なものである限り、たとえそれが個々の労働者にとって不利益を伴うものであっても、当該労働者においてこれを受忍せざるを得ない場合があるからである。そして、本件において、被上告人の側に定年延長の必要があったこと、そのためには、従前の定年後在職制度を見直し、賃金体系等を変更する必要があったこと、及び、女子行員や健康上の支障のある男子行員も含めた全労働者の関係において見ると、変更後の就業規則に基づく労働条件には、それなりの合理性が認められることは、多数意見の指摘するとおりである。

五  すなわち、本件の就業規則変更は、企業ないし労働者全体の立場から巨視的に見るときは、その合理性を是認し得るものである反面、これをそのまま画一的に実施するときは、一部に耐え難い不利益を生じるという性質のものであった。一般に、このような矛盾は制度の新設・変更の場合にしばしば生じるものであって、その合理的解決のためには、一部に生じる不利益を救済ないし緩和する例外的措置(以下「経過措置」という。)を設けることが通常考えられるところである。

もとより就業規制は、労働関係の集合的・統一的処理を行うためのものとして、画一性を建前とするものである。しかし、この建前は絶対のものではあり得ない。そのことは、本来画一的適用を最も重視すべき法律の新設・改正においてもしばしば経過措置が設けられていることや、たまたま多数意見が引用する当裁判所判例五件のうち三件(昭和四三年一二月二五日大法廷判決、同六三年二月一六日第三小法廷判決、平成八年三月二六日第三小法廷判決)の事案がそれぞれ経過措置の設けられていたものであったことによっても、明らかである。すなわち、就業規則について画一性の要請があることは一般論としては正しいけれども、他方、具体的事情によっては例外的に経過措置を設けるべきであることも、一般論として正しいのである。

そして私は、本件就業規則の変更が上告人に対して及ぼす不利益が賃金という労働者にとって最も重要な労働条件に関するものであり、しかも、その程度が前示のとおり著しいものであったことからすれば、これを緩和する何らかの経過措置を設けることについても具体的に検討し、それが被上告人の資金的・事務的能力からして極めて困難であったとか、就業規則変更の目的に照らして明らかに不相当であったなど、特別の事情が認められない限り、そのような経過措置なしに右不利益をそのまま上告人に受忍させることを許容することはできない、と考えるのである。

六  多数意見は、何らの経過措置がなくても本件就業規則の変更を有効と認め得る理由の一つとして、それが、上告人の合理的な期待を損なうにとどまり、法的には、既得権を奪うものと評価できないことを挙げる。

1  しかし、仮に上告人が有していた利益が「合理的期待」にとどまるとしても、それは、長年の間行われてきた定年後在職制度の適用を目前にしていた上告人にとっては、現実の具体的利益であったから、いわゆる「権利ないし法的地位」に極めて近接したものであったことは否定できない。それだからこそ、多数意見も、これを奪うことになる就業規則の変更は、上告人にそれを受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合に、初めてその効力を生ずるものとしているのであろう。

そうだとすれば、結局は、上告人の右利益に対比しての、被上告人側の必要性と合理性の衡量の問題に帰着するのであって、私は、前述の理由により、本件では、この衡量に当たって経過措置設定の可能性ないし相当性を具体的に吟味することが不可欠であると考えるのである。その吟味の結果、例えば、上告人と同等の状況にある者がそれほど多くなく、それらの者に従前と同じか又は一部修正した定年後在職制度を選択させることにしても、それによる資金的・事務的負担等が当時の被上告人に耐え得るものであり、その他そうすることを特に不相当とする理由がなかったと判断されるならば、そのような経過措置なしにその「合理的期待」を全面的に奪う就業規則の変更をそのまま同人らに受忍させることに、「高度の必要性に基づいた合理性」を認めることは困難であろう。

2  のみならず、私は、上告人が有していた利益をもって、単なる「合理的期待」にとどまると断定することに賛成できない。

確かに、退職金の計算上定年後在職期間が勤続年数に算入されないことなどからすれば、定年後の在職は、定年前の在職とは別異の待遇であったとみるべきものである。しかし、上告人の主張は、定年後在職制度によってその別異の待遇を受けることができる利益を有していたものであり、それが「権利ないし法的地位」に当たるというところにあるのである。そして、右主張の当否につき判断するに際しては、同制度の実際上の運用がどうであったかが特に重要であるところ、原判決は、昭和四二年度から同五七年度までの一六年間に五五歳定年に達した男子行員のうち約九三パーセントが定年後も在職し、その約七、八割が五八歳まで勤務していたことを認定している。しかし、定年後在職制度は、男子行員のうち、健康上の理由等で勤務に耐えない者及び希望しない者には適用されないのであるから、右の定年後在職しなかった者、あるいは五八歳まで勤務しなかった者のうちに、これら欠格事由に当たる者がどの程度含まれていたのかを確定しなければ、同制度の適用についての被上告人の裁量権限の存否ないし程度を確定できず、ひいては上告人の前記主張に対する的確な判断もできない筋合いである。

しかるに原判決は右につき事実を確定していないのであるが、記録によれば、右の非適用者中には相当数の欠格者が含まれていたことがうかがえるのである。したがって、この点につき審理を尽くせば、右制度が適用された者の割合は更に上昇し、これに加えて、原判決が確定した、被上告人発行の行報や従業員組合の組合員必携に「定年五八歳」との趣旨の記載があった等の事実を併せて考えれば、上告人の前記主張を肯定すべきものと判断される可能性が十分にあると思われるのである。

七  原判決は、経過措置を設けるか否かは当該企業の経営判断にゆだねるほかないことであるから、被上告人がこれを設けなかったことをもって本件就業規則の変更が合理性を欠くとすることはできないとする。

もとより、経過措置を設定するか否かは、その措置の内容を含めて、第一次的には企業が判断し、決定すべきことである。しかし、その判断及び決定の当否もまた、司法審査に服することは当然である。殊に本件では、上告人が具体的な経過措置の例を示して、司法審査を求めているのであるから、原審としては、前示のところに従い、それらの経過措置を設けることによる被上告人の負担等を具体的に審理すべきであり、その結果、そのような経過措置を設けることが著しく困難又は不相当であったなど特別の事情が認められない限り、本件就業規則の変更は、少なくとも上告人に対する関係では合理性を失い、これを上告人に受忍させることを許容することはできないと判断すべきであった。そしてその場合には、労働協約に基づく被上告人の主張が肯定されない限り、定年後在職制度によった場合との賃金差額等の支払を求める上告人の予備的請求を是認すべきこととなるのである。

八  すなわち、原判決には、就業規則の変更に関する法令の解釈適用の誤り、ひいては審理不尽の違法があって、この違法が判決に影響することが明らかであるから、これを破棄し、前記の諸点及び被上告人の右主張につき更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すべきものである。

(裁判長裁判官福田博 裁判官大西勝也 裁判官根岸重治 裁判官河合伸一)

上告代理人中村洋二郎、同中村周而、同土屋俊幸、同金子修、同上条貞夫、同志村新、同中野麻美、同工藤和雄、同鈴木俊、同川上耕、同高橋勝、同足立定夫、同味岡申宰の上告理由

〇 上告理由書(一)記載の上告理由

第一 本件訴訟の意義と上告理由・総論

一 原判決は、労働基準法第八九条所定の就業規則の法的効力の解釈適用を誤り、かつ、年齢差別を禁じた憲法第一四条、国際人権規約A規約第七条、および個人の尊重を保障する憲法第一三条に違反する。

1 労働契約上の上告人の既得の権利と利益を遡って剥奪し、「二年間のタダ働き」を強いる就業規則の変更の効力は上告人に及ばない――

(1) 被上告人第四銀行においては、昭和二二年六月三〇日の労使の合意を契機にして、以来、就業規則の形式的記載に関係なく三〇年以上にわたって実質満五八歳定年制が実施されてきた。

一審判決(新潟地裁判決)も「事実たる慣習」としてこれを認めたように、

① 男子行員について殆ど一〇〇%近くの行員が五五歳を越える実質満五八歳定年制の適用を受け、

② 第四銀行の責任編集にかかる「行報」をみても、「退職(停年五八歳)」の人事消息の記載が頻繁にみられ、第四銀行は「満五八歳が停年です」という台詞つきの漫画も記載されたり、

③ 従業員組合が発行し、組合員のみならず銀行側にも配付される「組合員必携」にも、停年制について「宣言規定として五五歳であるが、実質は五八歳である」と記載されるなど、

定年後在職制度という名の実質満五八歳定年制は、被上告人第四銀行内においては、「事実たる慣習」として存在し、上告人ら中高年齢者行員の当然の既得権として適用されてきたものである。

(2) 右のように、その一部をとりあげてみても、実質満五八歳定年制の存在が重みのある事実でもって裏付けられており、上告人の既得権を証明し、一審判決もこれを当然に認めているのに、原判決である二審判決は、行員が「五八歳まで勤務できる既得の権利ないし法的地位を有していたと認めることは困難である」と判示した(三八丁表)。

その事実認定や判断が、形式的な事実をもとにした判断であり、かつ、いかに証拠を無視し、採証法則に反するものであるかは後述するところであるが、その二審判決ですら、厳然として存在する既得権たる実質満五八歳定年制の定年後在職制度の存在を事実上半ば認めており、また、「期待的利益」という呼び名で事実上認めざるを得ないものであった。

すなわち、

① 定年後在職制度の「実際の運用においては、男子行員であれば、勤務に耐える健康状態である限り、ほとんどが願い出を認められるのが実情であった」(三六丁裏ないし三七丁表)として、殆どの男子行員に広く実質満五八歳定年制の適用がなされていたことを認めている。

② また、「男子行員について長年継続されてきた右の定年後在職の運用は、これを就業規則に根拠を持つ労働条件と同じ既得権とみることはできないにしても、被控訴人銀行において広く定着した慣行的事実であり、特別のことがなければ右運用によって定年後在職ができると考えてきた男子行員、とりわけ右運用を前提にして生活設計を立ててきた中高年齢層男子行員の期待的利益は、保護に値するものといわなければならない」(三八丁裏)とし、「期待的利益」という名前を使用しても、事実上、定年後在職制度という実質満五八歳定年制の存在を否定できるものではなかったのである。

このように実質満五八歳まで勤務できるという行員の既得権(労使の合意または「事実たる慣習」に基づく行員の権利ないし利益)を、使用者が就業規則を変更したとして、行員から遡って奪うことは許されない。二審判決はこの就業規則の変更の効力に関する法令の解釈適用を誤まったものであり、これは判決に影響を及ぼすこと明らかな法令に違背するものである。

以下その理由の要点を述べる。

(3) 周知のように秋北バス事件において最高裁判決(昭和四三年一二月二五日)は、「あらたに就業規則の作成または変更によって既得の権利を奪い、労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは、原則として許されない」とし、ただ「当該規則条項が合理的なものである限り」例外的に許容されるとした。

そして、その重大な枠となっている「合理性」について、大曲市農業協同組合事件における最高裁判決(昭和六三年二月一六日)は次のように判示する。

「右にいう当該条項規則が合理的なものであるとは、当該就業規則の作成または変更が、その必要性及び内容の両面からみて、それによって労働者が被ることになる不利益の程度を考慮しても、なお当該労使関係における当該条項の法的規範性を是認出来るだけの合理性を有するものである」として厳重な枠をかぶせ、さらに「特に賃金、退職金など、労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成または変更については、当該条項が、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合においてその効力を生ずる」とする。

このように、最高裁判決も、「特に賃金、退職金等の労働者にとって重要な既得の権利、労働条件」を奪う場合においては、就業規則の当該条項の効力を容認するためには、一段と「高度の必要性」と「高度の合理性」が必要とされるものである。

それはまた当然であろう。労働者は労働の対価としては、基本的に賃金、退職金等の収入を求めるものであり、この基本的対価が、軽度の必要性や軽度の「合理性」によって奪われては、労働契約はなりたたなくなるし、労働者とその家族の生活も成り立たなくなるからである。

この点で一審判決は、従前の定年後在職制度のもとにおける五五歳から五八歳までの三年間で得られる上告人の収入よりも、変更された就業規則における五五歳から六〇歳までの五年間で得られる収入が約一八万円余減少するものと認定したうえ、「諸事情を考慮しても、就業規則の変更による本件定年制の実施は、それの適用を受ける従業員にとって不利益なものであるにかかわらず、これを使用者が一方的に実施適用することを正当化するに足りるだけの合理性を備えていると認めることはできない」と正しく判示している(一審判決二〇三ないし二〇四頁)。

けだし、労働者にとってもっとも基本的な賃金、退職金において、従来の三年間で得られる合計と、新定年制のもとにおける五年間において得られる合計が大差ないときは、労働者にとっては、従来に比して「二年間のタダ働き」を強制される結果となり、使用者が労働者のこれまでの権利や利益を奪って一方的にこの「タダ働き」を強制することは許されないことである。

二審判決は、被上告人銀行の外的状況をあげたり、福利厚生制度が改善されたなどの理由をあげて、「合理性」認定の判断の事情としているが、そのような付随的な問題(それも上告人としては到底容認できないことは後述のとおり)で、上告人に対し遡っての既得権の剥奪(逆に言えば「二年間のタダ働き」の強制)をもたらす就業規則の変更の「合理性」を是認させることは到底できない。一審判決が言うように、新定年制により「中途退職の場合の退職金が増額され、福利厚生制度の適用年齢が五五歳から六〇歳に引き上げられた利益は、労働期間が二年間延長されながら受け取る賃金総額及び退職金の合計額が減少するという不利益を補って余りあるものとは到底いうことはできない」(一審判決一七〇頁)ものである。

なお、二審判決は、新定年制によって労働期間が二年間延長されることによって受け取る賃金等の合計は減少していないという計算をするが、その計算方法は認められないとしても、二審判決自体も、従前の三年間の賃金等の合計と新定年制における五年間の合計とは大差がないとしているのであるから(二審判決三九丁裏)、右「二年間のタダ働き」という問題は基本的に解消されないのである。

(4) 原判決である二審判決は、右「二年間のタダ働き」というもっとも重大な問題点について、「確かに賃金総額の計算上からはそのように(「タダ働き」と)いうこともできないではないが」(三九丁裏ないし四〇丁表)と、これをほぼ認めながら、次に驚くべき論旨を展開する。すなわち、

「従前の額による賃金収入が遅くても五八歳までに終わりになることと、従前の賃金が五五歳以降は減額されるものの、六〇歳までは収入が確保されて減額分を取り戻せることとの実生活上の利害得失をどのようにみるかという問題である。」とし、どちらが不利益か一概に断定できないとするのである(四〇丁表ないし裏)。

簡単に言えば、「長く働けば減額分の賃金はとり戻せるからよいではないか」ということである。

これはあまりにも乱暴な考え方ではなかろうか。減額分の賃金をどうやって取り戻せるかといえば、それは年月の経過とともに自動的に取り戻せるものではない。上告人ら労働者がまさに余分の年月の期間、労働しなければ取り戻せるものではない。そしてその期間、従来ならば労働する必要がなかった期間の労働である。だからこそ「タダ働き」というのである。

原判決の論旨をすすめるならば、たとえ賃金が何分の一かに減額されようとも、従来より一〇年でも二〇年でも長く働けば、その間の合計賃金をみれば減額分を「取り戻せる」ことになるからかまわない、ということになる。

しかし、その間の労働者の一〇年間、二〇年間という失われた期間、労働の期間の対価は一体どうなるというのであろうか。そのことは原判決は眼中にないのであろうか。

労働者の労働と賃金の価値をその程度にしか考えず、「タダ働き」を容認する原判決の論旨では、就業規則の不利益変更の拘束力についての法的判断を誤ることは当然である。原判決は、いま一度、大曲市農業共同組合事件について「賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件に関し不利益を及ぼす就業規則の作成または変更については」「高度の必要性に基づいた合理的な内容のもの」を要するとした最高裁の判示に立ち返るべきである。

(5) しかも、右のような賃金等の基本的保障を大きく奪い、「二年間のタダ働き」を強いる就業規則の一方的変更が、上告人ら中高年齢者行員にとっていわば遡って適用されるという過酷なやり方がとられたということに、更に問題が深刻となる。

原判決である二審判決も、この点について「一般的にいうと、定年延長に伴い旧定年時より前の時期にまで遡って労働条件を不利益に変更することは、定年延長と労働条件の低下との引換えにほかならず、定年延長の趣旨に照らし、原則としてたやすくその合理性を肯定することができないと考えられる」(四五丁裏)と、その不合理性を認めざるを得ない。ところが、実はこれをリップサービスとして次に「しかし、被上告人銀行において行われていた定年後在職制度は、前判示のとおり実質五八歳定年制を採用したものとは認められないものであるから」として「直ちに旧定年時より前の時期の労働条件を不利益に変更する場合と同列において論じることはできない」と逃げてしまう。

定年後在職制度についての原判決の判断が容認できないことは勿論であるが、少なくとも、先に原判決が、定年後在職制度を「既得権とみることができないとしても、広く定着した慣行的事実であるから、中高年齢層男子行員の期待的利益は保護に値する」と述べた点はどこに消えてしまったのであろうか。このような時にこそ、大きな意味を持つ「期待的利益」との関係で、遡って中高年齢行員の権利と利益を剥奪する意味を論じなければならなかった筈である。ただ「同列には論じられない」という抽象的な一言で片づけられる問題ではない。

五五歳を目前にしていた上告人ら中高年齢男子行員が、五五歳達齢とともに予定していた賃金等を大幅に切り下げられ、「二年間のタダ働き」を強いられることになることの就業規則の変更の意味を少しでも考慮すべきであった。

それを既得権の剥奪と呼ぼうが、「期待的利益」の侵害とみようが、その受ける上告人らの苦痛、不利益は共に甚大であったことに変わりはないからである。

その新定年制は、該当層の行員にとって、五五歳を境にそれまでの三、四割の賃金が削られるという予想外の大幅ダウンをもたらすものであった。

従来の一貫した昇給制度による定年後在職制度の合意と慣行を否認し、急遽持ち込まれた新定年制であるだけに、該当層行員にとってはまったく予想外の打撃であった。まさか既得権を剥奪してまでの大幅賃下げはないと確信して人生と生活設計をたててきた該当層行員にとっては、衝撃的な事件である。住宅ローンの返済計画や子供の教育資金の予定、家の建て替え改築や旅行計画など、さまざまな面で突然予想外の重大な支障を発生させる不当なものである(甲第一九三号証の一乃至四、上告人本人の原審における第一三回一九丁以下)。

(6) しかも、被上告人銀行においては、このように上告人ら中高年齢男子行員の突然の利益の剥奪を解消する方法を当時容易にとり得たのにこれをとらなかったことにおいて、就業規則の変更は一層「合理性」を欠くものであった。

すなわち、上告人は、少なくとも極めて被害を受ける中高年齢者行員に対しては当時、なんらかの「経過措置」はいくらでもとりえたことを指摘した。

たとえば、

① 実施予定時期を適切に定める。

本件新定年制の実施時期を五年後からとすれば、少なくとも目前にある該当層は生活面での準備をなすなどして、予定外の突然の賃金等の大幅ダウンによるショックを緩和することができた筈である。それが、被上告人銀行が賃金等の大幅切下げを伴う本件新定年制を提案してから二ケ月程度で急遽、昭和五八年四月一日から実施するという措置は、五五歳を目前に控えた中高年齢者にとって、あまりにも突然の衝撃であり不合理なやり方であったことは明らかである。

② 暫定的にプラスα制度とする。

被上告人銀行が経営上の問題で賃金の大幅切り下げなしの定年制を設けることが出来ないとする口実を仮に認めるとしても、従来の定年後在職制度である実質満五八歳定年制にプラスして、五九歳と六〇歳については賃金ダウンを伴う定年延長とする制度とするならば、本件新定年制に比して問題は大きく改善された筈である。

もともと被上告人第四銀行よりも経営規模の小さい北越銀行や羽後銀行が五八歳定年後も五七歳時の本俸を継続させる六〇歳定年制を実施し、千葉興業銀行も同様であるが、仮にその制度までをとらないとしても、右のように少なくともプラスα制度をとって従来の定年時までの賃金はそのまま維持し、プラスの定年延長後についてのみあらたな賃金体系を設けるということは容易に出来た筈である。このようなやり方をとった企業の例は見られるし、とくに被上告人銀行の場合は、中高年齢者の打撃を緩和するために最低限、こうしたプラスαの制度をとるべきであった。

③ 暫定的な選択制度の採用

一定の期間、旧制度(定年後在職制度)と新定年制のどちらをとるかについて、中高年齢者の選択制に委ねるという方法もとることができた。該当層のおかれた個々の状況に応じて選択を認めるならば、中高年齢者の突然の賃金大幅ダウンの打撃は同じく緩和できた筈である。

原判決は、右①ないし③の経過措置のうち、③のみをとりあげ、しかも理由にならない理由で上告人の主張を排斥しているのは二重に失当である。

原判決は、③の選択制度は、「該当層行員を異なる労働条件のグループに分けることになり、その処遇や人事管理、さらには行員間の感情面等で好ましくない結果をきたすおそれもないではない」とし、その措置をとるかどうかは「当該企業の経営判断にゆだねるほかない」とする(四六丁裏)。

しかし、本来、新定年制実施前の昭和五八年三月三一日までに五五歳になった行員については五八歳まで旧定年制である定年後在職制度が適用になっており、同年四月一日以降に五五歳になった行員に対しては新定年制が適用になったのであるから、新定年制のもとでも「該当層行員で労働条件の異なるグループ」が存在していたのである。むしろ、たった生年月日が一日違うだけで「二年間のタダ働き」の差異を強制する合理的理由は存在しない。

しかも、もともと選択制度というのは、どちらの制度をとるかは当該行員の自由意思による選択にかかるから、自ら選んだ制度について不満等がでる筈がない。現に、西日本放送株式会社などでも定年延長について経過措置としての選択制度(新定年制と旧定年制の選択制度)が採用されているのである。

仮に原判決の述べるようなこのましくない結果が暫定的に生じたとしても、該当層行員に対する理由のない「二年間のタダ働き」を押しつける不合理性に比べたら、容認出来ないものではない。原判決は「当該企業の経営判断」のみをあげるが、当該該当層行員の生活に対して与えた不合理性についてなんらの配慮もしていないのである。

このような原判決の判断は経営側のわずかの不都合のみをあげ、中高年齢行員に与えた基本的な打撃に対してまったく考慮を払わない不当な判断である。また、前述の①、②についての経過措置については原判決はまったく口を閉じているものである。

以上のとおり、労働契約上の上告人の最も重要な既得の権利と利益を遡って奪い、「二年間のタダ働き」を強いる本件就業規則の条項の変更の効力は「合理性」を欠き、その効力を有しないのに、原判決は就業規則の法的効力の解釈を誤ってなされたものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかであり、破棄されねばならない。

2 本件就業規則の変更は年齢差別を禁じた憲法一四条、国際人権規約A規約に抵触し、個人の尊重を保障する憲法一三条に違反する。

本件新定年制は、五五歳を境として仕事が同じなのに「年齢」だけを口実に賃金を大幅にダウンさせるという不合理で不当なものである(原審における上告人本人、北証人の証言等)。

「同一労働には同一賃金を!」というのは労働契約関係における鉄則であり、これを否定する差別は男女差別、人種差別、思想差別、不当労働行為による差別、年齢差別として許されない。後述するように、アメリカで「雇用における年齢差別禁止法」が定年制自体を年齢差別として許さないとし、ILOでも同趣旨に沿った勧告を採択しているのはこの基本に立っている。

しかも、その新定年制なるものは、銀行業務において五五歳以降というもっともベテランで油ののった中高年齢行員で人事考課にすらかかわるという上告人らを、三三歳の非役付者よりも賃金額を低くしたり臨時給与も二六歳の行員よりも低いものとする不当で不合理なものである(甲第一六六証の一乃至三、原審での上告人本人第一三回二〇丁裏以下)。これは不合理というにとどまらず、見せしめと中高年いじめであり、もはや人権問題と言ってよいほどのひどい内容のものと言わねばならない。

一審判決がこうした不当で酷い内容の「新定年制」は就業規則の改定をもってしても上告人に対して適用することはできないとしたことは当然である。

また、後述するように、このような就業規則の不当な変更は、国際人権規約A規約(「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」)第七条の定める「公正な賃金」及び「いかなる差別のない同一価値の労働についての同一報酬」の保障に違反する。

この点について原判決は、年齢による不当な差別であるとの上告人の主張に対し、「従前の賃金が職能給のみから成っていたとは認められないから、右主張は立論の前提を欠く」としているが(四三丁裏)、まったく問題をみていない。

いまここで問題になっている賃金等(賃金、退職金等)は、賃金等の経済的意味や分類がどうであるとかではない。一定の地位や条件にあり同じ種類の仕事をしているのに、五五歳という年齢を境にしてトータルとしての賃金が大きく減少することの意味が問題なのである。

中高年齢行員が働いているときに、全く同じ仕事をしていて賃金に大きな差異が設けられた際、その行員は賃金が職能給のみでなっているかどうかによって不当な差別かどうかを判断していくものではない。もし形式的なシステムや名称で差別が「消滅」するのであれば、経営者は職能給以外の様々な名称の名目賃金を設けることによって不当差別(不当労働行為や思想信条等による差別など)の非難をまぬがれることができる。

どんな名目を設けようとも、五五歳としてベテランの油ののりきった行員が、仕事も役付も同じで、部下の人事考課等もやっているとき、突然に五五歳に達すると三割も四割も賃金が削られるとき、年齢による理由のない不当な差別とみるのは当然である。

原判決は、右のような形式的判断によって年齢差別を禁じた憲法一四条や国際人権規約、個人の尊重を保障した同一三条に違反する本件新定年制の不合理性を看過したものであり、破棄を免れない。

以上の年齢差別等の不当な問題点は、憲法違反であると同時に、前述の「二年間のタダ働き」の問題とあいまって、少なくとも、本件就業規則の不合理性をも裏付けるものである。

二 原判決には労使慣行に関する採証法則の違反、ならびに、「事実たる慣習」についての民法第九二条の解釈適用の誤り及び理由不備の違法性があり、これは判決に影響すること明らかである。

1 定年後在職制度の労使慣行に関する採証法則の違反について

この点についても詳細は後述するところであるが、ここでは概括的に次の問題点を指摘する。

(1) 定年後在職制度は確立された慣行であり、かつ合意されたものであること昭和二二年六月三〇日の労使交渉において、結論的に第四銀行は「実質的には組合のお願いの線に沿って運営するから成文化することは見合わすことで承知されたい」と回答し、労使はその回答の線で合意した(甲第四五号証の二、「四、停年制の件」の末尾二行)。これは組合が大会を開いての再度の要求を決議して銀行側とねばり強い交渉を重ねた結果の結論であり、銀行側に組合の五八歳定年制要求の線に沿って定年制を実質的に実施することを約束させたものである。以来この労使の合意による実質満五八歳定年制が今回の昭和五八年四月新定年制実施まで守られてきたものである。

したがってこの定年後在職制度の労使合意による実質満五八歳定年制を内容とする労働契約が昭和二八年に入行した上告人との間の労働契約の内容にもなっていたことは明らかである。

(2) このことは、昭和二四年の退職金闘争の際、第四銀行は何度も明白に自認してこれを認めている。即ち、

① 昭和二四年一一月五日の地労委の席上、被上告人銀行は、「銀行の停年は昭和二二年組合の要求で三年延長して満五八歳としてあるのだから、退職金は幾分割引して考えてよいのではないか」と述べ(甲第八号証、5項参照)、はっきりと「定年を三年延長して五八歳とした」ことを自認しているのである。

② また、被上告人銀行が昭和二四年一二月二三日付けで作成した書面で、同銀行が提出してきた乙第九号証(「経営事項通知の件」と題する書面)によれば、「二、停年規程に関する件」として、「停年の取扱に関し、現在満五八歳まで停年退職の期限を延長しおるが」と、前述の1記載の合意とその合意に基づく実施運用の事実をここでも明白に自認している。

③ 同退職金の地労委交渉の場においても、被上告人銀行は「三〇年勤続者をもって一生涯を銀行業務に捧げたものとみることは、当行で停年を五八歳まで延長してある建前からいってうなづけない」と主張するなど(甲第七号証一三七頁六行目以下)、被上告人銀行は、一貫して労使合意による五八歳定年制が実施されているのを前提としてその主張を展開していたのである。

(3) 被上告人銀行は、右退職金闘争の終盤段階において、突然、「停年満五五歳までを遵守し、五八歳まで事実上延長の取扱を廃止する」との提案を行ってきた(甲第七号証、一三八頁チ)。これは、ここでも銀行側が組合との合意に基づく満五八歳定年制の運用を認めたものであったが、同時に、これを改悪する提案をして組合側の退職金闘争に対する牽制をしようとするものであった。

組合側は「これを突然に提出されて退職金にからめて協議せよと言われては協議を進めることは出来ない」と猛反発し(同一三九頁四行目)、結局この実質満五八歳定年制の運用を五五歳にまきかえそうとした銀行側の狙いは退けられ、退職金についてのみが妥結した(同一四〇頁)。

そして、昭和二五年三月三〇日、五五歳以上の行員については、「現行制度(即ち実質満五八歳定年制の運用制度)の改正迄の間」退職金の変形としての「特別慰労金」を支給することに労使合意して協定書を締結した(乙第一八号証)。その後定年制についての協議はなされないまま、三〇年以上の間、実質満五八歳定年制が実施されてきたものである。

このことは、「改正までの間」は現行制度(即ち実質満五八歳定年制)を維持適用するという協定書の合意であることからして、同協定書にいう「現行制度」すなわち実質満五八歳定年制がそのまま変更されることなく、従前同様に運用されてきたことを示している。

即ち、労使合意に基づく実質満五八歳定年制がその後も運用され、これにより、控訴人ら労働者との間の労働契約の内容になっていたことを示しているものである。

(4) 以上により、上告人と被上告人銀行との間の労働契約により、実質満五八歳まで一貫した賃金体系を基礎として勤務できる定年制の合意がなされており、被上告人が一方的にこの契約に反することは許されないのである。

2 定年後在職制度が確立された慣行であること

右のとおり、実質満五八歳定年制は労使の合意に基づく契約内容になっているが、同時にこれは、被上告人銀行内における確立された慣行であり制度になっていた。このことは以下の事実により明らかである。

(1) 前述のように、昭和二二年六月三〇日の労使合意、同合意に基づくその後の定年後在職制度の運用、昭和二四年退職金闘争時において再三にわたる被上告人銀行のこれを容認した言動、昭和二五年三月三〇日協定書による最終的な「現行制度」(実質満五八歳定年制)の確認とその後も改定されることなく続いてきた制度が、本件慣行の存在の基盤をなしている。

即ち、なによりも実質満五八歳定年制の慣行は、ねばり強い労使交渉の結果としてなされた労使の合意を基礎としているから、その合意による運用は、他方では、実質満五八歳定年制の運用が容易に慣行となり制度となったことを示している。

(2) 一審判決も認定しているように、昭和三二年度から昭和五八年度までの被上告人銀行における定年制の運用実態をみても、実質満五八歳定年制の適用はほぼ一〇〇%近い適用率であることが具体的に裏付けられている。

この動かしがたい事実は、なによりも実質満五八歳定年制の慣行の存在をはっきりと示している。

これに対して被上告人銀行は、女子行員の数を加えないで計算したのは誤りであるなどと主張しているが、男女差別をした結果を利用してそのような主張をするのはまったく恥ずべきことであり、本来、反論にも値しない。

被上告人の原審での準備書面(二)末尾添付の表(一)をみても、女子行員を入れて定年後在職者の適用率を計算しているが、本来算入すべきでない女子行員を除外して計算すれば、やはり一〇〇%近い適用率が示されるのであり、一審判決の認定が裏付けられる結果となる。

ところが、驚くべきことに原判決である二審判決までもが、被上告人と同じく、男女差別である女子行員の定年後在職制度の不適用の事実があったからとして、今後は女子も新定年制が適用になるようになったとして新就業規則の「合理性」の判断に加えている(四〇丁裏)のはまことに理解に苦しむ。

さらに、本人の意思による転職や出向(銀行内における出向規定上からしても本人の同意が必要とされている)をもって、定年後在職制度が適用にならなかった例にしてしまうのも歪曲以外のなにものでもない。一審判決も正当に指摘しているように、最終的に本人の自由意思によって出向や転職をしている例は、五五歳以前において自己の意思による任意退職の場合と同じく、本件定年後在職制度の問題とは本来関係のない別個の問題である。

(3) 被上告人銀行がだしている「行報」によれば、銀行自身が実質満五八歳定年制を前提にして、継続的に行員に報告している程になっていた。

① 即ち、

・依頼解職(満五八歳) 昭和三一年六月発行 甲第一〇号証の三・一〇頁

・退職(満五八歳) 昭和三二年五月発行 甲第六二号証一六頁

・退職(満五八歳) 昭和三六年三月発行 甲第一四〇号証二八頁

――三名につき同様の記載――

・退職(満五八歳) 昭和三六年四月発行 甲第一四一号証三二頁

・退職(満五八歳) 昭和三六年五月発行 甲第一四二号証二八頁

・退職(満五八歳) 昭和三六年六月発行 甲第一四三号証二八頁

・退職(満五八歳) 昭和三七年一月発行 甲第一〇号証の四・三六頁

・退職(満五八歳) 昭和三八年二月発行 甲第一〇号証の五・三四頁

・退職停年五八歳 昭和三九年四月発行 甲第一〇号証の六・三六頁

――三名につき同様の記載――

・退職停年五八歳 昭和三九年八月発行 甲第一四四号証四〇頁

・退職(停年五八歳) 昭和四〇年二月発行 甲第一〇号証の七・四八頁

――二名につき同様の記載――

・退職(停年五八歳) 昭和四三年一月発行甲第一〇号証の八・四七頁

――三名につき同様の記載――

このように被上告人銀行では定年退職を満五八歳と認識しているのが一般であり、通例の取扱であった。実際の定年が満五八歳と認識されているのでなければ、右のように「退職(停年五八歳)」という記載がなされる筈がない。

② 甲第一四五号証の行報(昭和三〇年五月発行)によれば、「淋しい数字」と題する漫画が載せられているが、この漫画は「満五八歳で停年です」として結んでいる。この漫画は後に被上告人銀行の常任監査役に就任した川村欽治(甲第一六三号証)が書いたもので、これが漫画として記載されていたことは、遅くとも昭和三〇年当時にはすでに満五八歳が停年として銀行内に確立された一般的な認識になっていたことが明らかである。

③ この行報は被上告人銀行の人事・業務・営業・調査等の各部署を網羅している代表からなる行報編集委員会の責任編集にかかるものであり(北証言八回一三丁以下)、後に被上告人銀行の頭取や専務、常務等の役員に就任した人が編集委員になっていた(同北証言一四丁以下)。しかも、定年退職という人事に係わることは銀行の人事部人事課がだす「人事異動の通達」をそのまま行報に掲載していたものであり(同一一丁以下)、被上告人銀行の人事と経営の中枢部においてすら実質満五八歳定年制を当然のこととして認識し、かつ実施していたことが明瞭である。

一体、これでも実質満五八歳定年制を内容とする定年後在職制度が慣行として確立されていたことを否定できるというのであろうか。

④ なお被上告人は、伊藤証人に対する尋問で(第一〇回一四丁裏以下)、甲第一四一号証や乙第二〇八号証の一の行報をあげ、伊藤証人をして「行報には『退職(停年五五歳)』とか『停年退職(五五歳)』とかいろいろな表現があった」と証言させているが、この伊藤証言は事実に反する。上告人側が提出した多くの行報(甲号証)や被上告人が提出した多くの行報(乙号証)のどれをみても「五五歳」を停年退職とする旨の記載をみつけることはできない。

現に、被上告人が尋問で指摘した甲第一四一号証の行報は「定年後在職」または「退職(五八歳)」とする記載になっており、五五歳を停年退職とする旨の記載とは反している。また、乙第二〇八号証の一でも「退職(五八歳)」とする記載が三名あり(三一頁)、わずか「退職(五五歳)」との記載が一名あるが、これは五五歳に退職をした旨を報じたに過ぎず、五五歳を停年退職とする記載ではない。さらに被上告人が提出した乙第二〇八号証の二の行報では「退職(停年五八歳)」とする記載が二名あるなど、むしろ五八歳を停年とする記載になっているのであって、伊藤証言が事実に反すること明らかである。

(4) 第四銀行従業員組合は、退職金引上げ問題においても「標準停年退職者」を「主事一級五八歳モデル」として退職金を算定しており(たとえば甲第一五三号証の一ないし三)、これを「標準停年者」と呼んで(同号証)満五八歳の年齢をあげているのである。これは、いかに満五八歳が通例の停年退職年齢であり、実質満五八歳定年制として定着していたかを示しているものである。

のみならず、退職年齢だけではなく、第四銀行従業員組合は、本件新定年制が持ち込まれるまでは、標準本俸の賃金体系においても、賞与の支給体系においても、五七歳まで(結局五八歳の退職時まで適用されるもの)の体系表をつくり(甲第一五一号証の一乃至九、甲第一五二号証の一乃至一五、甲第二〇五号証など多数)、これに沿った要求をなし、妥結した体系表を一般に配付している。

これまた実質満五八歳定年制を内容とする定年後在職制度が被上告人銀行内に一般的な慣行・制度となっていたことをはっきりと示している(原審での上告人本人第一三回八丁以下)。

(5) 同じく第四銀行従業員組合の組合員のみならず、銀行の管理職や人事部等にも配付されていた「組合員必携」は、早くから「停年に関しては宣言規定として五五歳、実質は五八歳である」と記載しており、これについて被上告人からもなんらの異議もなく長年維持されてきた(甲第九号証、甲第八三号証の一乃至三、甲第一七五号証など多数)。被上告人銀行側の伊藤証人は「変わった部分だけしか見ないで印刷していた」などと苦し紛れの弁解をしているが(同第一〇回一八丁裏)到底認められない。銀行人事部等広く銀行側にも配付される組合員必携について、書記長であった伊藤証人のそのような弁解が通用する筈がない(佐藤本人第一一回一一丁以下)。

まさに第四銀行従業員組合も被上告人銀行も、組合員必携が解説していた実質満五八歳定年制を慣行ないし制度として認めていたからこそ、「停年に関しては宣言規定として五五歳、実質は五八歳である」と記載された組合員必携を繰り返し印刷配付し、これを容認していたものである。

(6) さらに第四銀行従業員組合は、単に被控訴人銀行内部だけでなく、対外的にも被上告人銀行における定年制は実質満五八歳定年制であることを宣明していた。

即ち、第四銀行従業員組合も加入していた「地銀労組連絡会」が二年に一度作成する労働条件の参考資料集(甲第一七六、一七七号証)には、第四銀行従業員組合からの報告で、「定年」欄に「宣言規定五五歳、実質五八歳」と記載されている。これらは「組合員必携」の記載と同様であり、前述の伊藤証人が組合の役員をしていた時期のものでもある。このように対外的にも実質満五八歳定年制の存在と報告をしていたのに、銀行側の伊藤証人が実質満五八歳定年制が存在していたことを今になって否定することは到底出来ない(上告人の同、第一三回一一丁裏以下)。

(7) このことは定年制の改定をめぐる第四銀行と従業員組合との動きの中でも明らかになっている。

即ち、当初は真実の定年延長を求めた第四銀行従業員組合は、「高齢化問題を考えよう」と題する討議資料(昭和五七年七月・甲第一四号証の二)を組合員に配付していたが、その中には「私たちは、……実質定年五八歳の定年後在職制度をもってきています。定年後もそれ以前と変わらない条件で三年間引き続き勤務することができるこの制度は、定年後の生活確保の観点からも大きな支えとなっています」と述べており(同号証一七頁)、実質満五八歳定年制の存在を前提とした報告をしている。

また定年延長の要求となり可決された従業員組合の中央委員会議案書(昭和五七年一〇月・甲第一四号証の四)においては、実質満五八歳定年制について「これまでのながい歴史的過程のなかで慣行として築きあげてきたすぐれたものであり、定年後の生活確保の観点からも大きな支えとなっています」と説明している(同号証・五頁『3定年延長の必要性について』)。

このように第四銀行従業員組合は、実質満五八歳定年制を内容とする定年後在職制度の存在を確認し、これを土台としてさらなる定年延長(六〇歳への真の定年制)にむけての要求をしていったものである。

以上のとおり、実質満五八歳定年制を内容とする定年後在職制度が存在していたことは被上告人銀行内においてはあまりにも多くの事実によって明瞭に裏付けられていた。また、その慣行・制度は、昭和二二年乃至二五年にかけて合意され、かつ、その後も長年の間、当然のこととして確認されてきた実質満五八歳定年制の合意に基づくものでもあり、上告人と被上告人との労働契約の内容をともなっていたものである。しかるに、これほどまでに多くの定年後在職制度の慣行を裏付ける明瞭な証拠があるのに、これを認めなかった原判決は、明らかに採証法則に違反するものと言わざるを得ない。

3 「事実たる慣習」についての民法第九二条の解釈適用の誤りと理由不備の違法

(1) 一般に、慣行には、社会の法的な確信によって支持される程度までに達している慣習法(法例二条)と、その程度に達していない「事実たる慣習」(民法第九二条)があるとされる。

百歩譲って、本件定年後在職制度の慣行が法的な確信にまで達していなかったとしても、少なくとも「事実たる慣習」の程度にあったことは疑いない。

民法第九二条は「当事者がこれによる意思を有せるものと認むべきとき」と規定しているが、この判例・通説は「一方が慣習に従わないという意思を表示していない限り」という意味に解釈し、当事者は慣習の存在を知っている必要はないとしている。

一審判決は、この点について「被告銀行における本件定年後在職制度の適用を受けるということは、事実たる慣習として、被告銀行及びその従業員双方に対する拘束力を有していたと認めることができ、それは被告銀行の就業規則を補充していると解するのが相当である」とした。

本件においては、被上告人銀行においては、右定年後在職制度の慣行は、少なくとも「事実たる慣習」として存在し、上告人ら中高年齢男子行員も被上告人銀行も、この定年後在職制度によると認められる状況で運用されていたことは否定できないところである。したがって、従前の就業規則の定め方の如何にかかわらず、上告人についても定年後在職制度が被上告人銀行との間の労働契約の中身となっていたものであり、これを一方的に覆すことはできなかったものである。

しかるに原判決である二審判決は、なんらこの点にもふれておらず、理由不備の違法があり、民事訴訟法第三九四条の上告理由のみならず、同法第三九五条一項六号の絶対的上告理由ともなるものである。また少なくとも、「事実たる慣習」に関する民法第九二条の解釈適用を誤ったものであり、これは判決に影響すること明らかであり、原判決はこの点でも破棄さるべきである。

第二 本件新定年制は、年齢による不当な差別扱いであり、憲法第一四条一項、同第一三条、国際人権規約A規約第七条に違反する。

一 年齢差別の禁止は今や差別禁止問題の国際的な中心問題

1 第二次世界大戦後の雇用における平等への取組みの原点は、一九四八年(昭和二三年)に国連総会で採択された「世界人権宣言」であり、その第七条は「すべての人は、法の下に平等であり、またいかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する」ことを明らかにした。

この精神を具体化したものが、一九六六年(昭和四一年)に同じく国連で採択された国際人権規約である。同B規約(昭和五四年に日本批准)第二六条は「すべての人は法の下に平等であり、またいかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。このため、法律は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、財産、出生または他の地位等、いかなる理由による差別に対しても平等かつ効果的な保護をすべてのものに保障する」と定めた。

さらに、雇用の場面における平等については、同A規約(昭和五四年に日本批准)第七条が次の通り定めている。

「この規約の締約国はすべての者が公正かつ良好な労働条件を享受する権利を有することを認める。この労働条件は、特に次のものを確保する労働条件とする。

(a) すべての労働者に最小限度次のものを与える報酬

ⅰ 公正な賃金及びいかなる差別もない同一価値の労働についての同一報酬。……

………

(c) 先任および能力以外のいかなる事由も考慮されることなく、すべての者がその雇用関係においてより高い適当な地位に昇進する均等な機会……」

2 また、一九五八年(昭和三三年)に採択されたILO第一一一号条約(雇用および職業についての差別待遇に関する条約)は、第一条で、①人種、皮膚の色、性、宗教、政治的見解、国民的出身、社会的出身、②加盟国が労使団体と協議して決定するもの、につき雇用と職業に関する差別待遇を禁止した。差別禁止の対象に「年齢」は含まれていないが、当初総会に提出されたILO報告書は「高齢者に対しては、職業への適応力、本人の衰弱、若年者の昇進への障害などが言われることがある。しかし、能力を無視し、年齢のみを理由に職につくことを拒否することは、われわれの定義する『差別』に含まれる」と述べ、討議の中で前記条約に高齢者の年齢差別の禁止を入れるかどうか激しい議論が闘わされた。

さらに、一九八〇年(昭和五五年)に採択されたILO第一六二号勧告(高年齢労働者に関する勧告)は、真正面から高年齢労働者の雇用につき平等と保護の法理を貫くよう日本を始め加盟国に求めている。勧告の内容・審議経過については、別途上告理由書(二)で詳細に主張している通りであるが、高年齢労働者に関し雇用及び職業における差別待遇の防止のための措置をとるべきことを加盟国に要請する(第三項)とともに、高年齢労働者は、その年齢を理由とする差別待遇を受けることなしに、他の労働者との機会および待遇の均等を享受すべきことを明示していた(第五項)。

3 年齢による差別禁止の法理は主要な諸外国では既に立法化されている。

アメリカ合衆国では一九六七年(昭和四二年)「雇用における年齢差別禁止法」が制定されたが、その立法目的は「高年齢労働者が、年齢でなく、その能力に基づいて雇用されることを促進し、恣意的年齢差別を禁止し、あわせてこの問題の対処のため労使への援助を行うこと」にある(二条(b))。そして、四〇才から六五才の労働者に対し、①年齢を理由に採用を拒否し、または解雇し、その他労働条件について差別すること、②年齢を理由として労働者の地位に不利益を与えるような方法で、制限、分離、分類すること、等を違法として禁止した(四条)。

この法律は、一九八六年(昭和六一年)改正により、適用対象となる労働者の年齢上限を撤廃し、定年制(年齢のみを理由とする強制解雇)を全面的に禁止するに至っている。

またカナダは、一九八二年憲法で「すべての個人は、法の下に平等であり、とりわけ、人種、出身国もしくは出身民族、皮膚の色、宗教、性別、年齢または精神的もしくは肉体的障害により差別されることなく、法による同様の保護および利益を受ける権利を有する」(第一五条)とし、年齢による差別を禁じている。

二 日本でも、労働条件につき年齢による差別待遇は、個人の尊厳の保障(憲法第一三条)及び法の下の平等原則(憲法第一四条一項)に反する

1 判例は、憲法第一四条一項が差別事由として列挙する事由は例示的なものであってそれに限るものではないが、他方で絶対的な平等を保障したものではなく合理的理由に基づく差別は許されるとする(最大判昭和三九年五月二七日民集一八―四―六七六)。このことは日本国憲法が年齢差別禁止を排除せず、合理的理由に基づく差別扱いでない限り法の下の平等に違反し無効であることを意味する。

2 したがって本件では、新定年制の実施による上告人の受ける不利益(大幅賃下げ)が年齢による差別として、なお許されるべき合理的差別かが問題となるのであるが、後に詳述するように、仕事内容や権限が全く不変で銀行員として能力がますます磨かれる時期に、一定年齢に達したというその一事をもって労働条件の中核である賃金を一方的に大幅ダウンさせることは、合理的差別とは到底言えないことは明らかである。

三 上告人が受けた不利益(賃下げ)の具体的内容

1 仕事・権限は全く不変

(1) 上告人は、一九七九年(昭和五四年)八月に融資第一部に配属となり、部長補佐の役職についたため、労働協約により非組合員となり管理職となった。一九八五年(昭和六〇年)二月まで上告人は同じ仕事・役職を続けるが、その途中一九八四年(昭和五九年)一一月四日満五五才となるを境に、後述するような大幅な賃金ダウンを被っている。

その後一九八五年(昭和六〇年)二月に部長補佐の役職のまま同じ部内のローンセンターに配属となり、翌八六年(昭和六一年)一二月満五七才になって本件新定年制により新たに導入された業務役に役職を変更され、一九八九年(平成元年)一一月四日満六〇才に達令し退職している。

(2) 融資第一部は、融資企画、審査、代理貸、臨店指導、ローンセンターに分かれており、上告人は代理貸のセクションに属し、一九八五年(昭和六〇年)二月にローンセンターに配属になるまで部長補佐の役職で「代理貸付業務の統括並びに審査、管理業務」の仕事に従事していた。

したがって満五五才に達令した一九八四年(昭和五九年)一一月四日以降も達令前の仕事の内容と全く同じであり、役職も部長補佐で同じであった。資格も主事二級のまま不変であった。

その後上告人は一九八五年(昭和六〇年)二月に同じ部のローンセンターに転属となった。ローンセンターの仕事は、「住宅金融公庫代理店業務の統括、同代理店業務の指導管理および実施、住宅ローン等個人融資の貸付業務」であった。ローンセンターは機構改革により右同年二月から営業推進部(融資第一部が名称変更)が所管し、一九八七年(昭和六二年)六月からは同部から独立して常務取締役の所轄となったが、その業務内容は何ら変化なく、上告人はローンセンター配属から退職までの間、住宅金融公庫代理店業務の統括、同代理店業務の指導管理等の仕事を続けていた(北昭証言調書第一回6〜7丁)。

2 賃金は大幅ダウン

(1) にもかかわらず本件新定年制の実施により、上告人は満五五才達令の翌月、一九八四年(昭和五九年)一二月から賃金を大幅に削られたのである。

① 定例給与の引下げ(加算本俸の不支給)

(引下げ額)

昭和五九年一二月から同六〇年三月まで毎月五万八一〇〇円

昭和六〇年四月から同六一年三月まで毎月六万一九〇〇円

昭和六一年四月から同六一年一一月まで毎月六万五四〇〇円

昭和六一年一二月から同六二年三月まで毎月一一万五四〇〇円

昭和六二年四月から同年一一月まで毎月一二万〇五〇〇円

の定例給与の引下げを受けた。その内容は後記の債権目録(一)の通りである。

② 役付手当の引下げ

一九八六年(昭和六一年)一一月から、月額九万一二〇〇円から四万一二〇〇円へ、五万円の大幅引下げを被った。後記の別表(一)の通りである。

③ 賞与(臨給)の引下げ

従来は、「(本俸+家族手当+役付手当)×6.8か月+資格別定額」であったものが、一九八四年(昭和五九年)一二月からは、本俸から加算本俸と称する部分を削られ、支給率も三か月に減らされ、さらに資格別定額も半分以下に減額された。資格別定額の金額については後記の別表(二)の通りである。

その結果、賞与総額の引下げ額は、

昭和五九年下期

金三二万三三一六円

同六〇年上期

金一〇〇万八一三六円

同六〇年下期

金一〇七万七三九〇円

同六一年上期

金一〇四万五一八六円

同六一年下期

金一一一万八一三九円

同六二年上期

金一一一万五五一六円

同六二年下期

金八一万七九六九円

となり、合計で金六五〇万五六五二円という大幅なものとなった。その詳細は後記の債権目録(一)の通りである。

3 結局、本件新定年制により五年間働いて受け取る賃金は、旧定年制により三年間働いて受け取る賃金より少なかった

(1) 前記の通り、上告人は同じ労働・仕事をしながら大幅な賃金削減を甘受しつつ銀行員最後の五年間を勤めたのであるが、その一九八四年(昭和五九年)一二月一〇日から一九八九年(平成元年)一二月八日までの間、上告人が受け取った賃金の総額は金三〇七八万七二七八円であった(後記の債権目録(一))。

これに対し、従来の制度である実質満五八才定年制(旧定年制)の下では、後記の債権目録(二)記載のごとく総額二八七〇万九七八五円の支払いを受けることができたはずである。二年間同じ職務・仕事を継続して得た増額分は結局わずか金二〇七万七四九三円にしか過ぎない。

(2) また、満五八才に達令した一九八七年(昭和六二年)一二月以降に支払われた給料は旧定年制の下では賃金の繰延べ払いの意味を有するから、その利息相当分は金一二一万八七九四円となる(後記の計算書(一)記載の通り)。

(3) 退職金についても、新定年制で上告人が受領した退職金は金一二二九万九〇〇〇円である(甲第一一九号証)ところ、旧定年制によりその二年前に受領するとすれば金一二〇五万七三〇〇円となり(退職金一一七二万四三八〇円+特別慰労金三三万二九二〇円、同号証)、前記同様に二年間の利息相当分を計算すると金一四四万六八七六円となる。

(4) 以上から新定年制の下での五年間で得た総賃金額と、旧定年制の下で三年間働いて得る総賃金額は次のようになる。

(新定年制での五年間)

賃金総額 金三〇七八万七二七八円

退職金 金一二二九万九〇〇〇円

合計 金四三〇八万六二七八円

(旧定年制での三年間)

賃金総額 金二八七〇万九七八五円

その利息相当分

金一二一万八七九四円

退職金 金一二〇五万七三〇〇円

その利息相当分

金一四四万六八七六円

合計 金四三四三万二七五五円

このように、旧定年制の下での総賃金及び退職金並びにそれらの利息相当分の合計は金四三四三万二七五五円であるのに対し、新定年制の実施によって上告人が受け取った総額は金四三〇八万六二七八円となり、二年間多く働いたにもかかわらず逆に金三四万六四七七円も少ない。新定年制は二年間タダ働きどころかむしろマイナスとなるというひどいものなのである。

(5) 原判決も、旧定年制における賃金総額の利息相当分および退職金の利息相当分を除き、上告人の主張を大筋認め、「本件定年制により六〇歳定年まで勤務して得られる年間賃金総額が、従前の定年後在職制度により五八歳まで勤務した場合の年間賃金総額とあまり変わりがない」とした(原判決四二丁裏)。

4 上告人の賃金レベルは二〇年、三〇年後輩の非役付者と同じ

(1) 前述の通り上告人は二年間タダ働きとなるのであるが、実際受け取る賃金のレベルも著しく低いものとなる。

本件新定年制により上告人の賃金は満五五才の境に大幅に切り下げられる。その満五五才から一年間(昭和六〇年四月から同六一年三月まで)の年収は金六二一万四一五〇円であるが、この年収額は被上告人銀行においては三三才の非役付者の年収金六二五万七〇〇〇円とほぼ同レベルである(甲第一六六号証の一、上告人調書(控訴審)第一回二一丁表)。また、上告人が満五七才となる昭和六二年四月から同六三年三月までの年収は合計金五六五万五〇五〇円であり(前記債権目録(一))、同じく三三才の非役付者の年収金六五三万四〇〇〇円に比べると八七万八九五〇円も少なくなる。

さらに賞与(臨給)について比較すると、また上告人の満五五才である昭和六〇年上期と同年下期の賞与の合計は金一三一万〇一一〇円である(前記債権目録(一))が、これは入行四年の二六才のまだ新入行員の賞与合計金一四〇万六〇〇〇円(甲第一六六号証の三)より約九万五〇〇〇円少ない。また、上告人が満五八才となる昭和六二年上期と同年下期の賞与の合計は金一一六万三八一〇円である(債権目録(一))が、同じく二六才の新人行員の賞与一四四万九〇〇〇円(甲第一六六号証の三)と比べ金二八万五一九〇円も少なくなる。

上告人は入行三〇年以上の役付ベテラン行員であるが、労働者にとって一番大切な給与においては二〇、三〇年後輩の非役付の若い行員と同じかあるいはそれより低く見られているのである。

(2) それにも拘わらず、上告人は役席者として広い権限と重い責任を負う業務をしていた。

被上告人銀行では、役席者は、金庫扉の開閉、支店長員の使用、業務終了後の現金格納金庫等の鍵の保管管理、定期預金証書等の重要用紙の管理など、広い職務権限を持ち重い責任を負っている。これに対し非役席者はこれらの権限はなく行うことが全くできない(甲第一六七号証、上告人調書(控訴審)第一回二三丁)。

また、役席者は部下の人事考課を行うことになっており(甲第一六八号証)、上告人も部下の女子行員の考課を行っていた(上告人調書(控訴審)第一回二四丁)。

さらに、自らが対象となる人事考課の評定項目も異なっている。役席者は仕事を行う上で折衝、統率・指導、意見具申、企業貢献意欲、収益意識などの能力が求められ、さらに業務処理でも役席として担当した事務を正確・迅速に処理できるかどうか、重要物件・帳票・諸報告の管理を厳正に行っているか否かなど統括者たる管理職としての職務を果たしているかどうかが評定のチェックポイントとなっており、非役付者とは質的に異なり高いものが要求されている(甲第一六八号証)。

(3) このように、役席者たる上告人は、非役付者よりも権限が広く、より責任も重く質的に高い仕事をしていながら、満五五才に達令したという理由だけで、二〇才台、三〇才台の若い非役付行員よりも低い賃金しか支払われないのであり、これは単に五五才以上であるという年齢による不合理な差別としか言えないのである。

5 差別は上告人だけでなく中高年令行員全体が共通して非情な仕打ちと感じている

(1) 年齢によるこのような差別は単に上告人だけの問題ではなく、被上告人銀行の中高年令行員に共通して及ぶものであり、深い憤りを発生させている。

上告人と一時席を並べて業務をしていた北昭は、控訴審に証人尋問で、自分も満五五才に達令して定例給与が六万四〇〇〇円余り下がったことや賞与がこれまでの半分以下となって大きなショックを受け、ローンセンターの副センター長としての五五才前と同じ職責を全うしているにも拘わらず、自分の部下の方が給料を多くもらっていることにつき感情的に面白くないと気持ちでいると証言している(同人の証人調書第一回二一〜二二丁)。この結果は被上告人銀行内で実施したアンケートの結果にも行員(特に中高年行員)に共通する声として挙がっている(甲第一八一号証)。

(2) 上告人も含め多くの行員は旧定年制のもとで満五八才まで賃下げなしの一貫した賃金体系で生活できることを前提した生活設計をなしており、本件新定年制の実施による大幅な賃金引下げにより生活設計は大きく狂った。

例えば、「子どもを大学へやっておって毎月仕送りをしなければならない、更に、そのほかに住宅の借入金もある。だけれども、満五五才から急に引き下げられることになったんで」とか、「毎月の月掛けの預金を解約したり、月掛けの生命保険を解約したりしてやっと生活費に充てている」とか、「上の二人の子どもは大学四年制にやったんだけれども、もう下の子どものときは、ちょっと四年制にはやれないんで、大変かわいそうだったけれどもあなたは二年制だよということで、短大にやった」という話など、子どもの教育費用を中心として一番お金がかかる時期に大幅な賃金ダウンを受け生活設計が大きく狂って大変な状態となっている(甲第一六五号証、上告人調書(控訴審)第一回一九丁)。

上告人も、地震で土台が外れて傾いた自宅を修理する予定でいたところ、本件新定年制適用による大幅な賃金によりそれを断念せざるを得なかった(右調書第一回二〇丁)。

四 原判決の挙げる事由はいずれも合理的差別の事由とは言えない

1 原判決は、賃金面で上告人に不利益が生じていることを一応認めながらさまざまな理由を持ち出して本件新定年制を援護する。しかし、それらを年齢による差別禁止を合理化する事由と言えるかという観点から評価した場合、いずれも否定されるべきことは明らかである。

2 原判決は、従前の賃金が職能給のみから成っていたとは認められないから年齢による差別の主張は立論の前提を欠くと言う(原判決四三丁)。

原判決の論理に忠実に従うと、賃金が職能給のみから成り立っていれば年齢による差別の問題が生じてくる、ということになる。おそらく、職能給は労働の程度に応じて支払われる賃金であるから同一労働同一賃金の原則が適用できるという考え方であろう。

しかし、これは賃金の本質・実態を理解しない全くの暴論である。

第一に、一〇〇%職能給である賃金は現実にはあり得ない。それは、一〇〇%中立・客観的な職能評価制度があり得ないというそれ自体の制約からであり、他方、労働者にとって賃金はその名目如何に拘わらず生活費そのものであり、使用者としても安定した労働力の供給を確保するために労働者の日々の生活を維持する必要があり生活給的な部分を拒みえないからであり、現実の賃金は生活給的部分と職能給的部分とからなる複合的なものである(ここでは、賃金が労働力の対価か労働の対価かという問題には触れない)。

第二に、職能給と同一労働同一賃金の原則は本質上相いれないものである。同一労働同一賃金の原則は、女性労働や少年労働の低賃金によって成年男子労働者の賃金が低下することを防ぎその水準を維持しようとする闘いの中から歴史的に生まれてきた原則であり、同一労働に対して性別・年齢・人種・身分などにより賃金に差別をつけて押し下げてはならない、との内容をもつものである。これに対し、職能給は一見客観的・中立的な能力評価を装いながら実際は評価者の主観による一方的恣意的評価が行われる余地があるものであり、同一労働に対し評価者の主観を離れた客観的な同一の評価はあり得ないものである(能力評価重視の労務管理が、長時間残業・過労死・男女差別等の日本の国際的に有名になっている社会的問題を引き起こしていることは周知の通りである)。

第三に、もし原判決の論理が正しいとすると、同一労働と評価される限り職能給(あるいは職能給部分)を差別してはならないことになるが、例えば、上告人は本件新定年制により、賞与(臨給)のうち資格別定額(定例給与のうち職能給を構成する資格手当部分に対応する)を五五才達令と同時に大幅に減額されたが、原判決の論理からすればこれはまさに同一労働同一賃金の原則に反するはずであろう。原判決は自己の論理にも違反した結論を出している。

3 他銀行・他業種との比較

原判決は、賃金ダウンの不利益があることを認めつつ、他銀行や全業種の一般的な平均賃金と比較しまだ高水準であると述べている(原判決四二丁以下)が、雇用における平等原則は同じ労働現場で同じ労働をしていながら受ける不当な差別に関するものであるから、右の事由は何ら差別の合理的理由にはならない。

4 福利厚生制度

原判決は、本件新定年制により福利厚生制度が充実したことを述べている(原判決四三丁裏以下)が、これら福祉厚生制度は行員全体が利用できるのであり、上告人個人に対する差別扱いを合理化できる事由ではない(判決も「代償措置にはならない」と自認している)。

5 従業員組合との合意

原判決は、行員の約九〇パーセントで組織されている従業員組合が同意していることを尊重すべきと言う(原判決四四丁)が、直接不利益を受ける立場にあった上告人は非組合員ゆえに組合の意思形成へ関与する機会を奪われたのであり、それもって上告人の不利益を合理化することはできない。

6 企業経営の都合

原判決は、定年延長は銀行側の都合ではなく社会的要請であったことや定年延長により被上告人銀行の人件費の増大やポスト不足により人事の停滞、経営効率や収益力の不十分さ等を挙げ、定年延長に伴う賃金水準等の修正が必要であったと言う(原判決四一丁以下)。しかし、そもそも定年延長を巡る社会的要請や企業の労務管理上の必要性が、それだけで直ちに平等原則を制限するだけの法的正当性まで持ちうるのか根本的な疑問がある。また仮りにそれを認めたとしても、本件ほどの急激な賃金ダウンが果して真に合理的だったのかについて何ら立証されておらず、到底差別を合理化する事由にはならない。

五 まとめ――憲法一四条一項、同一三条違反は明らか

以上のように、本件新定年制実施による上告人(さらには他の該当行員)の具体的な賃金水準、仕事内容、生活への影響などを見れば、満五五才を超えたというその一事をもって不合理でかつ著しい不利益を課すものであることは明白である。いくら定年延長が社会的要請であるからといって、延長した二年間がタダ働きどころかマイナスとなるような本件新定年制は、上告人ら中高年齢者に不当な犠牲を強いるものであって、合理的差別の限度を超えた年齢による差別であり、憲法一四条一項に違反するとともに、個人の尊厳・幸福追及権を保障した同一三条にも反するものである。

第三 本件定年後在職制度の適用についての解釈の誤り(法令違背)

一 本件定年後在職制度の根拠となる就業規則の解釈(ないし上告人の法的地位の解釈)における争点

1 本件における就業規則の変更による本件新定年制の導入が上告人の既得の権利を侵害し、上告人に不利益をかす不合理な変更であることを検討する上で、従前の制度である本件定年後在職制度がどのような制度であったかを検討することが必要不可欠である。

本件定年後在職制度は、形式的には昭和四〇年九月一〇日改正の就業規則第五九条の次のような規定に根拠を持つものである(第一審判決一五〇頁、甲第五号証)

「職員の停年は満五五歳とする。但し、願出により引続き在職を必要と認めた者については三年間を限度として、停年後在職を命ずることがある。」

他方、被上告人銀行の従業員で組織する第四銀行従業員組合が組合員に対して発行する「組合員必携」には、定年について次のような協定があるとして、被上告人銀行の定年制は「宣言規定として五五歳、実質五八歳である」と長年記載されていた。

「停年に関する協定は次の通りである。

1 職員が五五歳に達したときは、停年として退職させるものとする。

2 但し引続き在職の必要を認める者に対しては、その停年を延長することができる。

3 停年延長の期間は三ケ年とする。

4 停年延長に関しては、第一項に拘らず次の理由に基づく申請により実質上運用されている。

イ 引続き仕事をなすに差支えない健康状態にあること。

ロ 家庭の事情により勤務する必要のあること。

(註)上にみる通り停年に関しては宣言規定として五五歳。実質五八歳である。」

2 上告人が従前の定年制度である定年後在職制度の適用を受ければ、次のような労働条件を有することになることは原判決も認定し、当事者間になんら争いがないものである。

「定例給与 五四歳時の定例給与が引き続き支給される。

定期昇給 前記のとおり、以前は経営協議会での労使協議により定年前行員と区別されたこともあったが、行規によって実施されていた。

賞与 昭和五四年以降は定年前行員と同じく「(本俸+家族手当+役付手当)×6.8か月(夏季3.3か月、冬季3.5か月)+資格別定額」が支給された。

役付手当 従前の役職が当然に変更されることはなく、役付手当が減額されることもなかった。」(原判決二一丁裏)

本件の争点は、五五歳達齢以後も達齢以前とまったく同じ労働条件であったかどうかではなく、右のような労働条件で五八歳まで勤務できるという被上告人銀行における特異の制度である「定年後在職制度」という定年制度の適用を上告人が受けることができるか否かである。

第一審判決が指摘するように「本件定年後在職制度は右認定の就業規則の定年に関する規定の但書に根拠を有するものであり、就業規則の規定上は被告銀行(被上告人銀行)に裁量権が認められる形になっている……が、本件で問題となっているのは本件定年後在職制度の実際上の運用がどのようになっていたかということであるから、就業規則の規定だけからは、本件定年後在職制度の適用についての被告銀行に業務上の必要性、勤務に耐え得る健康状態であるか否か、勤務を必要とする家庭事情であるか否か、当該従業員に職務遂行能力があるか否かを審査する裁量があったと認めることができない」(第一審判決一五〇頁)のであるから、就業規則の規定上の体裁ではなく、実際の運用実態を検討し、

① 被上告人が主張するように「在職を認めるか否か」を認めるについて「業務上の必要性、勤務に耐え得る健康状態であるか否か、勤務を必要とする家庭事情であるか否か、当該従業員に職務遂行能力があるか否か」を審査する裁量があるものとして解釈され、そのような効力があるものとして運用されてきたものか

② 就業規則第五九条が、「組合員必携」に記載された「停年に関する協定」のとおり、「引続き仕事をなすに差支えない健康状態であること」と「家庭の事情により勤務する必要のあること」という二つの理由に基づいて申請することにより三年間の定年延長、すなわち定年後在職が認められるものとして解釈されて運用され、特に男子行員については「勤務に耐え得る健康状態である限り」定年後在職が認められ満五八歳まで働く権利を上告人が有していたかどうか

が判断されなければならない。

3 第一審判決は、被上告人銀行における本件定年後在職制度の運用実態を詳細に検討し、「男子行員については、勤務に耐え得る健康状態である限り満五八歳まで本件定年後在職制度の適用を受けることができるという慣行が長年にわたって行われてきたと認めることができ、右の慣行は、被告銀行とその従業員らの間で、運用され、これまでに、明示的に右慣行によることを排斥する事実は認められず、運用面において被告銀行内の制度として確立していたということができる。」「被告銀行における本件定年後在職制度の適用を受けるということは事実たる慣習として、被告銀行およびその従業員双方に対する拘束力を有していたと認めることができ、それは被告銀行の就業規則を補充していると解するのが相当である」(第一審判決一五三頁)と正しく判示した。

被上告人銀行における定年制に関する就業規則第五九条は、「男子行員については勤務に耐え得る健康状態である限り定年後在職制度の適用を受け、満五八歳まで勤務できることを認めたものである」と解釈し、右解釈のような法的効力を持つものであるとしたのである。

第一審判決は、本件定年後在職制度の運用実態からするならば「勤務に耐え得る健康状態である限り本件定年後在職制度の適用を受け、満五八歳まで勤務することができる」という既得の権利ないし法的地位を上告人が有していたと解したのである。

ところが、後述するように原判決は、「五五歳定年後の在職者の地位が定年前の在職者と完全に同一の身分を継続保有し」ているか、「五五歳後も従来の水準を下まわらない労働条件で五八歳まで勤務できる既得の権利ないし法的地位を有してい」るかどうかと、本件でまったく争いとなっていない定年後在職制度が適用された後の労働条件を問題にして、上告人が主張していない内容の既得の権利ないし法的地位を想定し、論理をすり替えた誤った判断をなしている。

4 本件における定年後在職制度をその運用実態などからどのような制度であったと解するかという問題は、定年制に関する就業規則第五九条をどのように解釈し、どのような法的な効力をもつものと解すべきかという法律問題でもある。

また、運用実態の事実から上告人がどのような既得の権利ないし法的地位を有していたかという法律関係の解釈に関する問題である。

本件定年後在職制度に関する就業規則の解釈ないし上告人の法的地位についての解釈を誤ることは、就業規則の変更によって上告人の被る「不利益の性質、内容と程度と変更の必要性及びその内容との比較考量」(原判決三六丁表)に重大な影響を与えるものであり、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背である(民事訴訟法三九四条)。

原判決は本件定年後在職制度(就業規則又は法的地位)の解釈を誤った法令違反があるばかりでなく、本件定年後在職制度の運用実態についての認定に関しても採証法則に反する点でも法令違反がある。

二 原判決における本件定年後在職制度の解釈

1 原判決の論理は、上告人の主張を「五五歳達齢者が従前と同じ労働条件で五八歳まで在職できることが行員の既得権になっていた」と捉え、定年後在職者の労働条件が定年後在職前の労働条件と同じであったかどうか、定年後在職者が五八歳まで在職していたかどうかを問題にして、

「五五歳定年後の在職が、定年に達しても五八歳までは当然に定年前の在職者と同一の身分を継続保有することができるとの前提で、被控訴人銀行の業務上の都合にかかわりなく行われてきたものであるとは解されず、

むしろ、基本的には、被控訴人銀行が経営上の裁量によって実施する上乗せ措置であり、定年前の在職とは異なる特種の待遇であるという建前は崩されていないと認めるべきである」(原判決三七丁裏)。「就業規則に五八歳定年の定めがある場合と同じような実質五八歳定年制が採用され、行員が五五歳後も当然に従来の水準を下まわらない労働条件で五八歳まで勤務できる既得の権利ないし法的地位を有していたと認めることは困難である。」とした(原判決三八丁表)。

2 本件での争点は、前述したように就業規則五九条但書に形式的には根拠を持つとされる定年後在職制度の長年の運用から見て、「勤務に耐え得る健康状態である限り本件定年後在職制度の適用を受け、五四歳時の定例給与が引き続き支給され、定期昇給もなされ、賞与についても五五歳達齢前と同じ水準で支給され、役職も当然に変更されることなく満五八歳まで勤務することができる」という本件定年後在職制度という特異な制度における前述したような労働条件が適用されるかどうか、そのような法的地位を有することが労働契約の内容となっていたか否か、定年後在職制度の運用実態による慣行により就業規則が補充され就業規則五九条但書を「勤務に耐え得る健康状態である限り定年後在職制度の適用をさせ、満五八歳まで在職させる」という法的効力を有するものと考えるべきか否かである。

しかるに、原判決が「就業規則に五八歳定年と明確に規定されているのと同じような実質五八歳定年制が採用され、行員が五五歳後も当然に従来の水準を下まわらない労働条件で五八歳まで勤務できる既得の権利ないし法的地位を有していたと認められない」と判断しても、本件の争点に答えたことにはならない。原判決は上告人の主張を歪曲してとらえ、論理のすり替えをなした結果、誤った判断をなした違法がある(理由不備の違法)。

3 原判決は「被控訴人銀行の業務上の都合にかかわりなく行われてきたものであるとは解されず」、定年後在職を認めるかどうか、どのくらいの期間在職を認めるか否かは経営上の裁量によって認めていたものであり、定年後在職を認めるのは被上告人銀行によるいわば恩恵的な「上乗せ措置」であるかくの如く解している。

原判決の論理は、上告人の主張を「五五歳達齢者が従前と同じ労働条件で五八歳まで在職できることが行員の既得権になっていた」と捉えることから、本件定年後在職制度を就業規則上に五八歳定年と明確に規定されている場合と同じかどうかを問題にし、退職金の計算方法が違うとか、福利厚生制度が違うとかなど五五歳達齢前と後の違いのみをあげ、「定年前の在職とは異なる特種の待遇であるという建前は崩されていない」から、「経営上の裁量」があったというのである。

しかし、これは、後述するように「男子行員であれば、勤務に耐えうる健康状態である限り、ほとんどが願い出を認められ」(原判決三七丁表)、定年後在職が認められており、そこには被上告人銀行の「経営上の裁量」の余地がなかったという本件定年後在職制度の運用実態を無視するものである。明らかに本件定年後在職制度の解釈を誤るものである。

三 「経営上の裁量による上乗せ措置」であるという解釈の誤り

1 原判決は、本件定年後在職制度が被上告人銀行の「業務上の都合にかかわりなく行われてきたものであるとは解されず」、「経営上の裁量による上乗せ措置」であり、定年後在職を認めるか否かについて経営上の裁量があるかの如くする根拠として、

「① 上告人が主張するような昭和二二年六月三〇日の労使合意の事実が認められないこと

② 男子行員の定年後在職者が圧倒的に多くなっていたものの、前記第一の二(被控訴人銀行の従前の定年制)及び三(従前の定年後在職制度の運用状況等)で認定した定年制及び定年後在職者の処遇に関する労使交渉の経過

③ 定年後在職者の退職金の計算方法

④ 福利厚生制度の適用年齢の制限等の諸事実

⑤ 男子行員についての一年間に限り定年後在職を認められた例がごく少数あるし、

⑥ 定年後在職を認められても五八歳まで勤務できる者は減少しており

⑦ 女子行員については一名を除いて定年後在職が全く認められていなかったこと」

をあげているが、これらのいずれも、被上告人銀行の経営上の裁量を裏付ける根拠となるものではない。

2 男子行員について「勤務に耐え得る健康状態である限り定年後在職が認められ、定例給与や賞与が五四歳時と同じように支給され、定期昇給があり、従前の役職が当然に変更されることなく、五八歳まで勤務できる」という本件定年後在職制度が昭和二二年六月三〇日の労使合意を契機に実施されてきたものであることは原判決の認定事実からもいえることである。昭和二二年六月三〇日の労使合意がなかったという原判決の認定は経験則に反する違法なものである。

原判決は「昭和二四年秋ころからの退職金の改定をめぐる被控訴人銀行と組合……との紛争について、……調停の過程において、被控訴人銀行は五五歳定年を組合の要求で五八歳まで延長していることを考慮して退職金を決めるべきである旨主張した」(原判決一五丁表)という事実を認定しているのであるから、この事実一つをとっても実質五八歳定年制が昭和二二年の組合の要求を入れて実施されたものであり、被上告人銀行も定年を五八歳に延長する扱いをしていることを主張し、認めていることは明らかである。

本件定年後在職制度は、昭和二二年六月三〇日の組合と銀行側との間の合意によって実施され、それが退職金改定闘争を経て、昭和二四年三月三〇日の「停年制及び勤続年数に関する」協定(乙第一八号証)で合意されている「停年の取扱いに関し現在満五十八歳迄停年退職の期限を延長しおる」停年制が改定されないまま、定年後在職制度という形で昭和五八年四月一日の本件新定年制実施まで存続していたものである。

したがって、後述するように、実質五八歳定年制は労使の合意に基づいて長年運用されてきた制度である。労使の合意を否定した原判決は経験則に違反し、採証法則を誤るものである。

3 「男子行員の定年後在職者が圧倒的に多くなっていたものの、定年制及び定年後在職者の処遇に関する労使交渉の経緯」から、原判決は定年後在職制度の適用について「経営上の裁量」があったとしている。

しかし、原判決が根拠とする「原判決の第一の二及び三で認定する定年制及び定年後在職者の処遇に関する労使交渉の経過」では次のような事実が認定されている。

すなわち、原判決の第一の二では、「被控訴人銀行の従前の定年制」として、

① 昭和一九年一一月当時の行規で「満五五歳に達したときは定年として退職せしむ」となっていたが、実際には、……満五五歳になっても定年延長を認められる行員が多かった」こと

② 昭和二一年一〇月二四日、被控訴人銀行に提出した要求事項の中で、行員の定年を五八歳とすることを申入れたが、これに対し、被控訴人銀行は、現状を変更しない旨回答した(一四丁表)。

③ 組合は、昭和二二年五月二四日にも同様の定年延長を再度要望したが、被控訴人銀行は、同年六月三〇日、定年を規定の上で三年延長するという点は今少し経済界の情勢を見極めた上で決定することにし、それまでは従前どおりで行きたいことを回答した。

④ 昭和二四年秋ころから、退職金の改定をめぐる被控訴人銀行と組合との紛争について、新潟地方労働委員界で調停が行われ、その調停の過程において、被控訴人銀行は、「五五歳定年を組合の要求で五八歳まで延長していること」を考慮して退職金を決めるべきである旨主張した(一五丁表)。

⑤ 昭和二四年一二月二〇日に行われた労使協議の席上、被控訴人銀行は、「(一) 現在五八歳まで定年退職の期限を事実上延長しているが、昭和二八年一月一日からは右の退職期限の事実上の延長を行わず、五五歳退職を実施する

(二) 退職金の勤続年数計算に関しても五五歳達齢日をもって打ち切る、」という内容の五五歳定年制厳守の提案をした。

⑥ 地労委の斡旋により、定年制問題については退職金問題と切り離して日を改めて協議することになった。

⑦ 地労委の斡旋により定年制問題について被控訴人銀行と組合が協議を続けた結果、昭和二五年三月三〇日、両者間において、「前記(一)の五五歳定年制厳守の件については適当な時期に労使双方が協議する。また、(二)の退職金の勤続年数計算の件については、被控訴人銀行案のとおり五五歳達齢日をもって打ち切るが、現行の定年制が労使の協議により改正されるまでの間の暫定的措置として、五五歳達齢後の在職期間につき一定割合の特別慰労金を支給する」旨の協定が成立した(一五丁裏)。

と認定している。

この事実からは、⑦の昭和二四年三月三〇日の協定が締結された当時の被上告人銀行における定年の扱いは乙第一七号証の協定書の記載に基づく正確な表現では「停年の取扱に関し現在満五八才まで停年退職の期限を延長しており」、定年の扱いを行規上の「五五歳定年を組合の要求で五八歳まで延長している」(原判決一五丁表)ということになり、「満五八才まで停年退職の期限を延長して」いる「現行の定年制が労使の協議により改正されるまでの間の暫定的措置として、五五歳達齢後の在職期間につき一定割合の特別慰労金を支給する」という取決めがなされたということになる。

この協定に基づき「定年制に関する現行制度の改正までの間の暫定的措置として満五五歳に達したる日から退職する日までの期間について支給するとされた特別慰労金についての規定が本件六〇歳定年制実施の直前まで被上告人銀行の行規または就業規則にあり、本件六〇歳定年制実施に伴って廃止されたこと」(第一審判決一五二頁)は、当時の「停年の取扱に関し現在満五八才まで停年退職の期限を延長して」いる定年制が継続していたものと解するのが経験則に合致する。

「地労委の斡旋により、定年制問題については退職金問題と切り離して日を改めて協議することになった」結果、退職金の計算方法について勤続年数の計算については満五五歳とし、満五五歳から退職するまでの期間については特別慰労金という形で退職金を計算することを決めたのである。原判決は「定年後在職者の退職金の計算方法」(原判決三七丁裏)が、被上告人銀行の経営上の裁量の根拠とあげているが、前述した退職金の改定における労使交渉の経緯からするならば、被上告人銀行の裁量権を否定する根拠となり得ても、裁量権を認める根拠にはけっしてならない。原判決は経験則に反する認定を行った違法がある。

更に、「定年後在職を願い出るについては、健康上勤務に耐えうること及び家庭事情が引き続き勤務を要することの二つを必要としていたが、実際の運用においては、男子行員であれば、勤務に耐えうる健康状態である限り、ほとんど願い出を認められていた」(原判決三六丁裏、三七丁表)という本件定年後在職制度の運用実態があることや組合員必携に前述したような「停年制に関する協定」が記載され、「この記載について、被控訴人銀行が異議を述べたり、訂正を求めたりしたことはない」(原判決二一丁表)ということを合わせるならば、被上告人銀行に定年後在職を適用するか否かについて「経営上の裁量」があったと解することはできない。

原判決は明らかに法解釈を誤っている。

4 原判決は第一の三で「従前の定年後在職制度の運用状況等」について認定し、これを被上告人が「経営上の裁量」があった根拠としているが、原判決の事実認定自体も証拠に基づかない恣意的な経験則に反する認定であり誤ったものであるが、原判決の認定を基にしても被上告人に裁量権があったということはできないのである。

(一) 原判決は

① 「実際の運用状況を見ると、男子行員については、五五歳定年に達しても引き続き在職を希望したときは、健康上の理由等で勤務に耐えない者を除いて、定年後在職が認められていた」こと(原判決一八丁表)

② 昭和四二年度から昭和五七年度までの一六年間の状況では上告人の調査や被上告人の調査でも、五五歳定年に達した男子行員の約九三パーセントが定年後も在職していること(原判決一八丁裏、一九丁表)

③ 被上告人銀行が発行する行報には行員の人事消息が記載され、昭和三〇年代から昭和四〇年代前半ころに発行された行報には、「退職(満五八歳)」「退職停年五八歳」「退職(停年五八歳)」など表示した退職者の氏名が記載されたものがあること(原判決二〇丁裏)

④ 昭和三〇年の行報に「満五八歳が停年です」という台詞付きの漫画が掲載されたこともある(原判決二一丁表)

⑤ 従業員組合は、長年、「組合員必携」を組合員に配布しており、これには定年制について「宣言規定として五五歳であるが、実質五八歳である」との記載がある。この記載について、被上告人銀行が異議を述べたり訂正を求めたりしたことはないこと(原判決二一丁表)

などを認めている。

これらの事実からするならば、原判決が認定するように「男子行員については、五五歳定年に達しても引き続き在職を希望したときは、健康上の理由で勤務に耐えない者を除いて、定年後在職が認められていた」(原判決一八丁表)のであるから、五五歳定年に達しても引き続き在職を希望し、勤務に耐えうる健康状態であった上告人は定年後在職制度の適用を受け、定例給与や賞与が減額されたり、役付職が変更されることなく五八歳まで勤務する権利ないし法的地位を有していたことは明らかである。

原判決は「男子行員については、五五歳定年に達しても引き続き在職を希望したきは、健康上の理由で勤務に耐えない者を除いて、定年後在職が認められていた」ことは「被控訴人銀行において広く定着した慣行的事実であ」る(原判決三八丁裏)と認定しているのであるから、右の慣行が事実たる慣習として被上告人銀行およびその従業員双方に対する拘束力を有しており、被上告銀行の就業規則を補充している(第一審判決一五三頁)と解すべきであった。また、上告人が原審で主張したように右の慣行が事実たる慣習として上告人の労働契約の内容となっていると解すべきであった。

原判決は本件における重要な争点である上告人の既得の権利ないし法的地位の根拠となる法解釈である右点についてなんら判断をしておらず、理由不備の違法がある。

(二) 本件の重大な争点は、被上告人銀行に本件定年後在職制度の適用について「経営上の裁量」があったかどうかであるから、満五五歳で退職した者の数だけでなく、退職理由を当然検討すべきである。

就業規則上の文言でも「願出により」となっているのであるから、満五五歳達齢した者でも定年後在職を希望しないで自らの意思で退職した者は除いて考えるべきであるからである。第一審判決は退職理由も検討し正しい事実認定を行っている。

しかるに、原判決は本件定年後在職制度の実際の運用について、昭和四二年度から昭和五七年度までの一六年間だけに限定したうえ、満五五歳で退職した者の退職理由をなんら検討しないまま、退職者の数だけを問題とし、本件定年後在職制度の適用率を約九三パーセントと認定しているが、これはまったく恣意的な認定であり不当なものである。

また、被上告人銀行が経営上の裁量とか、業務の都合等による裁量があると主張しているのであるから、仕事の内容も異なる男子庶務行員を男子一般行員と一緒にして「男子行員」というように一括して本件定年後在職制度の適用率を判断することも誤りである。第一審判決のように、男子一般行員と庶務行員のそれぞれについて、本件定年後在職制度の適用率を検討すべきであった。この点でも、原判決は誤っている。

(三) 本件定年後在職制度の運用実態は、第一審判決が認定するように「男子一般行員についてみると、昭和三二年度から昭和五八年度まで二七年間に満五五歳以上で退職した者は合計で三八四名であり、満五五歳で退職した者は二〇名であって、三六四名の者が満五五歳を超えて在職して」おり(第一審判決一二七頁)、「満五五歳で退職した者の内訳は自己都合九名、病気七名、転職三名、不明一名である。自己都合九名、転職三名の計一二名は自らの意思で本件定年後在職制度の適用を希望しなかった者であるから、これを除くと、病気の者以外の者に対する本件定年後在職制度の適用率は約99.7パーセント(三六四÷三六五×一〇〇)である」(第一審判決一二七頁)。男子一般行員のほとんど全員が健康である限り定年後在職制度の適用を受けており、ここには被上告人銀行の裁量の事実はまったくみられない。

原判決は被上告人の資料(乙第二〇二号証)を基に、「一六年間に五五歳定年に達した男子行員は二九九名(事務行員二一二名、庶務行員八七名)で、その約九三パーセントに当たる二七九名(事務行員二〇〇名、庶務行員七九名)が定年後在職している」としているが、右認定でも一六年間に五五歳に達した男子事務行員(男子一般行員)は二一二名で、満五五歳で退職した者はわずか一二名に過ぎないことがわかる。後述するように、五五歳定年に達した庶務行員は八五名であるから、男子行員は二九七名で、そのうち約94.3パーセント(二八〇名)が定年後在職をしている。

乙第二〇二号証で「定年退職」と退職理由欄に記載されている男子一般行員の氏名をあげると実際は次の一一名であり、二〇一名の男子一般行員が満五五歳を超えて在職しており、その適用率は約94.8パーセントとなっている。

右一一名について、甲第六〇号証と照合してその退職理由について甲第六一号証の一で検討すると、

五五歳退職者

退職年度

甲六一の一の

年度別退職理由

1

2

村上忠一

村由重雄

四二年度

四二年度

自己都合一名

3

4

神保敏行

小林一重

四三年度

四三年度

病気一名

自己都合一名

5

牧野久策

四四年度

病気一名

6

7

青木周蔵

小出主雄

四六年度

四六年度

自己都合一名

不明一名

8

小竹義雄

五〇年度

自己都合

9

平出正笑

五四年度

自己都合

10

小柳英一

五五年度

自己都合

11

菅原幸男

五六年度

自己都合

となる。

昭和四二年度の二名のうちの一名を退職理由不明とすると、満五五歳で退職した一一名の退職理由の内訳は自己都合七名、病気二名、不明二名ということになる。

自己都合七名は自らの意思で本件定年後在職制度の適用を希望しなかった者であるからこれを除くと、病気以外の者に対する定年後在職が認められた者の本件定年後在職制度の適用率は約九九パーセント(二〇一÷二〇三×一〇〇)で、健康である限りほとんど全員が定年後在職が認められていた。

自己都合七名を定年後在職を希望しながら適用がされなかったと仮定しても、病気以外の者に対する定年後在職が認められた者の本件定年後在職制度の適用率は約95.7パーセント(二〇一÷二一〇×一〇〇)と、健康である限りほとんどの男子一般行員(事務行員)が定年後在職が認められている。

原判決は、上告人側の資料である甲第六〇号証をもとに、昭和四二年度から昭和五七年度に「五五歳定年に達した男子行員は二九〇名(事務行員二〇四名、庶務行員八六名)で、その約九三パーセントに当たる二七〇名(事務行員一九〇名、庶務行員八〇名)が定年後も在職し」たと認定しており、男子一般行員(事務行員)二〇四名中、一九〇名が定年後も在職し、一四名が満五五歳で退職したことになる。

甲第六〇号証の一で右一四名の退職理由を検討してみると、その内訳は病気二名、自己都合八名、転職二名、不明二名である。自己都合八名と転職二名の計一〇名は自らの意思で適用を希望しなかった者であるからこれを除くと、病気以外の者で定年後在職が認められた者に対する本件定年後在職制度の適用率は約98.9パーセント(一九〇÷一九二×一〇〇)であり、健康である限り希望すれば男子一般行員のほとんど全員が定年後在職を認められている。

以上のとおり、自己都合や転職など自らの意思で本件定年後在職制度の適用を希望しなかった者を除くと、病気以外の理由で定年後在職制度の適用がなされなかった者はほとんど皆無といって良いのである。原判決が認定した昭和四二年度から昭和五七年度を見ても、男子一般行員については健康である限り本件定年後在職制度の適用を受けており、この運用実態からするならば、被上告人銀行の「経営上の裁量」とか、「業務上の都合」によって適用すべきか否かを決めていたとは到底いえない。

(四) 同様に、昭和四二年度から昭和五七年度までの五五歳に達齢した男子庶務行員八七名のうち、七九名が定年後在職が適用され、八名が満五五歳で退職したと原判決が認定しているのであるから、右八名について退職理由の内訳を乙第二〇二号証と甲第六〇号証(一五頁以下)、甲第六一号証の二で検討すると次のとおりとなる。

五五歳退職者

退職年度

甲六一の一の

年度別退職理由

1

上田秀男

四二年度

病気一名

2

長谷川キノ

四四年度

3

高橋ヨシノ

四六年度

不明一名

4

谷長一

四六年度

5

勝又良平

四八年度

不明一名

6

辰間繁

五二年度

病気一名

7

清水賢治

五七年度

不明二名

8

小杉豊吉

五七年度

乙第二〇二号証では昭和四六年度の高橋ヨシノは男子庶務行員となっているが、乙第二〇三号証の一二の行報を見ると女子行員であることがわかる。昭和四四年度の長谷川キノも同様に女子行員である。

この二名を除くと、満五五歳に達齢した男子庶務行員は八五名で、そのうち七九名が定年後在職をしており、満五五歳で退職した者は六名ということになる。

このうち六名の退職理由の内訳は右の一覧表のとおり病気二名、不明四名ということになる。病気以外の者に対する本件定年後在職制度の適用率は約95.2パーセント(七九÷八三×一〇〇)と、ほとんどの人が定年後在職の適用を受けている。

(五) 乙第二〇二号証によって、昭和四二年度から昭和五七年度について男子一般行員と男子庶務行員を合わせた男子行員についてみると、満五五歳達齢者は二九七名(事務行員二一二名、庶務行員八五名)で、その約94.3パーセントである二八〇名(事務行員二〇一名、庶務行員七九名)が定年後在職の適用を受けている。

満五五歳で退職した男子行員一七名の退職理由の内訳は自己都合七名、病気四名、不明六名で、自己都合七名は自らの意思で定年後在職を希望しなかった者であるから、これを除くと病気以外の者(二八六名)に対する本件定年後在職制度の適用率は約九八パーセント(二八〇÷二八六×一〇〇)である。健康である限り男子行員のほとんど全員が本件定年後在職制度の適用を受けている。

(六) 健康である限り男子行員のほぼ全員が本件定年後在職制度の適用を受けて、五五歳達齢以後も在職できるという運用実態からするならば、被上告人銀行の人事関係取扱要領の二八条で定める「願書」と健康診断書及び部課店長の副申を添えて人事第一課に提出という手続きが必要とされることも被上告人銀行の裁量権の根拠となるものでないことは第一審判決が認定したとおりである(第一審判決一四三頁、一四四頁)。

特に部課店長の副申を添える点についても、被上告人銀行では次のように、人事関係取扱要領の三九条で「退職願」にも部課店長の副申を添えることになっており、副申そのものはなんら裁量権の根拠となるものではないことはこの点からも明らかである。

文例

退職願

私議

この度○○○○により昭和○年○月○日限りをもつて退職致したくお願い申上げます。

昭和○年○月○日

××支店

書記三級 ○○○○

株式会社 第四銀行

取締役頭取 澤善次郎 殿

支店長副申

右退職につき事情巳むを得ないものと認めます。

○○支店長 ○○○○

5 原判決は「定年後在職を認められても五八歳まで勤務できる者は減少してお」ると認定し(原判決三八丁表)、これを本件定年後在職制度が被上告人銀行の「経営上の裁量によって実施する上乗せ措置であり」、「特種の待遇である」と解する根拠としている。

しかし、これはまったく経験則に反する誤った認定である。

(一) 原判決は、定年後在職者で五八歳まで勤務した者の比率を問題にし、「時期により変動があり、特に事務行員については近年は低下する傾向がみられる」(原判決一九丁表)として、定年後在職者の五八歳までの在職率の低下を根拠に、被上告人に経営上の裁量権があったものと解しているようであるが、これについても定年後在職制度の適用を受け、五八歳まで勤務できるようになった者でも、五八歳に達齢する前に病気で退職したり、自らの意思で退職したりすることがあるのであるから、退職理由も検討しなければ、在職率の低下という数だけ見ただけでは被上告人に裁量があったかどうか正確に判断することができない。この点で数だけを見て在職率を算出している原判決は方法的に誤っており、不当な恣意的な解釈である。

また、原判決は本件定年後在職制度の適用率を算出する場合には仕事の異なる男子一般行員(事務行員)と庶務行員の数を合算して算出しながら、定年後在職者の五八歳までの在職率については男子一般行員(事務行員)のみの在職率を検討しており、自己の結論に合わせたまったく恣意的な誤った認定方法である。

(二) 原判決は被上告人の資料(乙第二〇二号証)による事務行員の五八歳在職者は、「昭和四二年度から昭和四五年度までは四一名中三五名(八五パーセント)、昭和四六年度から昭和四九年度までは三六名中二九名(八〇パーセント)、昭和五〇年度から昭和五三年度までは五二名中三二名(六一パーセント)、昭和五四年度から昭和五七年度までは七一名中二二名(三〇パーセンド)である」とし、「昭和五〇年代に入ってからは、被控訴人銀行の勧奨に応じて五八歳前に他に転職あるいは出向する事務行員が増加し」、「これは、中高年齢行員の増加によるポスト不足等の問題が生じてきたため、被控訴人銀行がその対策として、定年後在職中の事務行員に対して途中でいわゆる肩たたきをするようになったからである」(原判決一九丁裏、二〇丁表)と、あたかも定年後在職者が五八歳まで在職していないことを強調した恣意的な認定をしている。

しかし、原判決がいくら強調しても、定年後在職が認められた事務行員が被上告人銀行の勧奨に応じて出向したり、転職したとしても、それがいわゆる肩たたきであったとしても、それは最終的には自らの意思で出向したり、転職しているのであるから、転職や出向による退職は自らの意思による退職であって、被上告人銀行の裁量権を根拠づけるものではないことは明らかである。

特に出向については、定年後在職者にも適用される被上告人銀行の出向規定(行規)五条では「出向を命ずるときは事前に本人の同意を求める。」と定められており、本人の同意がなければ出向を命ずることができないのであるから、最終的には自らの意思で出向していることは明らかである。

また、本件六〇歳定年制が実施された以後の六〇歳までの在職状況を見ても、転職や出向の状況は本件定年後在職制度があった当時以上に減少している。甲第一七三号証を見ると、本件六〇歳定年制が導入された昭和五八年度から昭和六一年度までの五四歳に達齢した男子一般行員は合計で一九四名であるが五九歳まで在職した者は合計で六五名でしかなく、在職率は33.5パーセントと、六〇歳定年制が実施されても転職や出向によって自らの意思で退職している者が多いことを裏付けている。

(三) 男子一般行員(事務行員)について、被上告人銀行の資料である乙第二〇二号証の退職理由欄の記載から定年後在職制度の適用があった者のうち五八歳達齢前に退職した者の退職理由の内訳を見ると、自己都合退職七名、転職四一名、死亡一名、病気一名、病気・一年限り条件一名、期間満了(一年限り条件)二名の合計五三名である。

右の期間満了(一年限り条件)二名のうち昭和四三年度の和久井秀一は第一審判決が認定するように病気が原因で期限が付されたものであり(第一審判決一五一頁)、病気が原因で五八歳まで在職できなかった者は三名ということになる。

したがって、定年後在職が認められた男子事務行員二〇一名うち五八歳達齢前に退職した五三名のうち、自らの意思で退職した者は四八名(自己都合七名、転職四一名)で、死亡一名と病気が原因で退職した者三名を合わせた合計五二名を除いた病気以外の男子事務行員(一四九名)の五八歳までの在職率は約99.3パーセント(一四八÷一四九×一〇〇)と、ほとんど全員が健康である限り五八歳まで在職している。

五八歳までの在職率を見ても、被上告人銀行の裁量などまったくみられないのであり、業務上の都合とか経営上の裁量があったと解した原判決の誤りは明白である。

6 原判決は、「男子行員について一年間に限り定年後在職を認められた例がごく少数ある」(原判決三八丁表)ことも、被上告人銀行の裁量権の根拠としている。

しかし、第一審判決が認定するように、「昭和三二年度から昭和五八年度までの二七年間に一年間に限りと期限を付したうえで本件定年後在職制度の適用が認められた者は」、「訴外金子建造、同和久井秀一、同小杉公平、同星野康二及び同高坂謙」の「五名にすぎないこと、右の五名のうち訴外和久井秀一と同星野康二について一年間に限りとの期限が付されたのは病気が原因であること」(第一審判決一五一頁)が認められる。そして、被上告人銀行が作成した乙第二〇二号証の「退職理由」欄の記載を見ると、昭和四九年度の小杉公平は「病気・一年限り条件」となっており、病気が原因で期限がふされたものであることがわかる。

したがって、病気以外の理由で一年間の期限を付されたのはわずかに二名でしかなく、これをもって「本件定年後在職制度の適用について被告銀行に被告の主張するような裁量権があり、それに基づいて運用されてる実績があったとは認めることはできない」(第一審判決一五一頁)のは第一審判決の認定するとおりである。

また、原判決は、「定年後在職者で五八歳前に退職した者の中には、健康上あるいは能力上の理由から五五歳後一年間に限って在職が認められた少数の者」が含まれる(原判決二〇丁表)としているが、健康上の理由で一年間に限って在職が認められた者がいることは前述のとおりであるが、「能力上の理由」で在職が一年間に限られたというのはまったく証拠に基づかない偏見であり、証拠上「能力上の理由」で一年間に限定された者はいない。

以上の点からも、健康で勤務に耐えうる限り男子事務行員は本件定年後在職制度の適用を受け、ほぼ全員が五八歳まで勤務している。本件定年後在職制度の運用実態を見るならば、原判決が認定したような被上告人の裁量権などまったく認められない。

本件定年後在職制度の適用について被上告人に裁量権があると解した原判決は経験則に反するだけでなく、明らかに法解釈を誤る法令違背がある。

7 原判決は、「女子行員が定年後在職を希望しても、引き続き勤務することを必要とするだけの家庭事情にないなどの理由により、定年後在職は認められず」(原判決二〇丁裏)、「女子行員については一名を除いて定年後在職が全く認められていなかった」(原判決三八丁表)ことを認定して、被上告人銀行に裁量権がある証拠としている。

しかし、被上告人銀行は甲第一六号証にあるように、女子行員に対する結婚を口実とする退職強要や資格差別にとどまらず、賃金についても露骨な男女差別を行ってきた。乙第二二六号証の定期昇給の実施要領でも男子行員と女子行員では定期昇給額に差をもうけており、露骨な男女差別を実施していた。このような男女差別については昭和五一年一二月に、女子従業員四名及び「第四銀行から不法と不当な差別をなくす会」によって、新潟労働基準監督署に対し、賃金差別の是正の申告が行われ(甲第一六号証)、翌年七月に、同基準監督署から是正勧告が出されている(甲第一七号証、甲第一八号証、甲第一九号証)。

このような露骨な男女差別を被上告人銀行はしており、定年制の運用においても、男女差別をしていた。

第一審判決を認定するように「昭和三二年から昭和五八年までの間に女子行員の満五五歳達齢者は三四名いたこと、そのうちで本件定年後在職制度の適用を受けたのは昭和五八年二月に満五五歳達齢となった訴外石田マサ子一名だけであ」り、被上告人銀行においては「本件定年後在職制度の適用について男子行員と女子行員とでは異なった取扱いをしていたのであるから、本件定年後在職制度の実態をみる場合に男子行員と女子行員とを一緒にして検討するのは」誤りである(第一審判決一三五頁)。

定年制の運用における男女差別の実態は被上告人銀行の控訴審準備書面(二)の別表(二)見てもわかるように、昭和四二年から昭和五四年までの一二年間に女子事務員で満五五歳に達齢した者三一名のうち、定年後在職が認められたのはわずか一名でしかない。その一名の昭和五七年の女子行員石田マサ子にしても、「第四銀行から不法と不当な差別をなくす会」の支援のもとに、被上告人銀行に定年後在職制度の適用を強く迫った結果によるものである(甲第二一号証、久保田証言調書第一回三四丁以下)。右の女子行員三一名のうち一名を除いて「引き続き勤務することを必要とするだけの家庭事情がなかった」というのはあまりにもお人好しの見方である。

このような本件定年後在職制度の適用について、被上告人銀行が露骨な男女差別をしているにもかかわらず、「女子行員が定年後在職を希望しても、引き続き勤務することを必要とするだけの家庭事情にないなどの理由により、定年後在職は認められな」(原判決二〇丁裏)かったとする原判決は非常識もはなはだしいものであり、経験則に反するものである。

したがって、定年制の運用実態を把握する場合に、女子従業員を除外して検討すべきであるとした第一審判決は正当である。女子行員に対する差別的運用に目をつむり、女子行員が定年後在職制度の適用がないことを根拠に、被上告人銀行に裁量権があるとする原判決は男女差別を肯定し、憲法一四条に反するものである。

8 原判決は、福利厚生制度における適用の制限があったことも裁量権の根拠とするようであるが、福利厚生制度における適用年齢の制限があったとしても、前述したような本件定年後在職制度の適用率や五八歳までの在職率をみるならば、男子事務行員は健康である限り定年後在職をしていたのであり、福利厚生制度の適用年齢はなんら裁量権の根拠となりうるものではない。

また、原判決は、定期昇給問題等について「昭和三〇、三一年度及び昭和三六年度の交渉では五五歳を超えて在職中の行員につき、定年前の行員と区別して、原則として昇給させないことで妥協し」た(原判決一六丁裏)とするが、昭和三四年発行の組合員必携(甲第三〇二号証)の一〇頁にあるとおり、「停年後在職中のものは原則として昇給はしないが、平準者については今後二年間は九〇〇円以上の昇給をする」という経過措置をもうけ、実際は定年後在職者にも標準以上の定期昇給が認められていた。

原判決は、昭和三二年度の交渉で銀行側は「定年が社会一般の慣例で将来延びるときには延長されるだろうが現状では五五歳定年が普通である、五五歳以上は恩恵的なものであると回答した」としている。

しかし、昭和三二年度前で被上告人銀行では建前として定年後在職者には一般昇給に認めないとしながら、個々に検討して一定額以上の昇給を認めるということにしていることや、乙第二二九号証を見ると「ロ 銀行に対する貢献度が判然としている人は人なみに或いはそれ以上とし、そうでない人は原則として昇給しないのが建前だが気持程度とするということだ」と回答し、「五五歳以上は恩恵的なもので最低八〇〇円昇給は好ましくない。」と回答しているのであるから、定年後在職を認めて五五歳以上在職させていることが恩恵的であるということではなく、五五歳以上の者に「気持程度」昇給させるいうことが恩恵的であるという趣旨である。原判決は恣意的に引用し、明らかに間違った認定をしている。

第四 実質五八歳定年制が労働契約の内容となっているという主張に対する判断の脱漏(理由不備の違法)

一 実質五八歳定年制が労働契約の内容となっている旨の主張

上告人は原審における新たな主張として一九八九年(平成元年)五月一一日付準備書面(第三回)の第二において、実質五八歳定年制、すなわち「男子行員については引き続き仕事に耐えうる健康状態である限り定年後在職制の適用を受けることができ、五四歳時と同じ定例給与が支給され、定期昇給も行われ、賞与も役付手当も五四歳時と同じ額が支給されるという労働条件で五八歳まで働く権利を有する制度」が上告人の個別労働契約関係においても労働契約の内容となっており、上告人の既得の権利であることを明確に主張した。

その根拠として

① 昭和二二年六月三〇日に行われた被上告人銀行と職員組合との労使交渉の結果、銀行側が満五五才定年を規定した行規を改正しないが組合側の要求に沿って満五八才定年制を実施すると約束したこと(甲第四五号証の二)

② 昭和二五年三月三〇日の「停年制及び勤続年数に関する」協定(乙第一八号証)で、「停年の取扱に関し現在満五八才迄停年退職の期限を延長しおる」停年制を「適当なる時期において更に銀行及び組合双方が自主的に且つ有効的に協議」し、「停年制に関する現行制度の改正迄の間の暫定的措置として」特別慰労金を支給するということが決まり、この特別慰労金制度は昭和五八年四月一日に本件定年制が導入されるまで続いていたこと

右協定でいう「停年制に関する現行制度」とは協定書の記載を見ると就業規則の規定上では満五五才と規定されている定年を「停年の取扱に関し現在満五八才迄停年退職の期限を延長しおる」停年制を指すことは明らかであり、右協定により実質満五八才定年制が再確認されたものであること

③ 昭和二二年六月三〇日の労使合意又は遅くとも昭和二五年三月三〇日の労使協定の成立を契機として昭和五八年四月一日に本件新定年制が導入されるまで、実質五八歳定年である本件定年後在職制度について、男子行員につき健康である限り定年後在職制度が適用され、五八歳まで勤務することが労使慣行として実施されてきた実態があること

④ 旧定年制である定年後在職制度が実質五八才定年制があったことは組合員必携にも記載され、昭和五七年一〇月の「定年延長実現にむけて」と題する組合討議資料(乙第一〇二号証)や本件新定年制の導入における労使交渉でも組合側が主張していたこと(乙第一〇四号証)

⑤ 上告人が被上告人銀行に入社した際、被上告人銀行の西村部長が上告人に対し、実質五八才定年制であることを説明したことを主張した。

しかるに、原判決は、後述するように「男子行員については、五五歳定年に達しても引き続き在職を希望したときは、健康上の理由で勤務に耐えない者を除いて、定年後在職が認められていた」ことは「被控訴人銀行において広く定着した慣行的事実であ」る(原判決三八丁裏)と認定しながら、この慣行的事実が事実たる慣習として存在し、上告人の労働契約の内容となっており、それが上告人の既得の権利であるという主張に対し、なんらの判断を示していない。

これは明らかに判断の脱漏があり、理由不備の違法がある。

二 労使合意に基づく実質五八歳定年制

1 昭和二二年六月三〇日の五八歳定年の労使合意(取決め)

(一) 上告人は原審において、昭和二二年五月二三日付が出された組合側からの「御願(要求)」(甲第四四号証の三、乙第八号証)で、行規を改正して定年を満五八才と定め成文化することを要求し、昭和二二年六月三〇日に行われた労使交渉の結果、銀行側が「実質的には組合のお願の線に沿って運営するから成文化することは見合わすことで了承されたい」と回答したことにより、実質五八才停年制を実施することの労使合意がなされたと主張した。

ところが、原判決は「被控訴人銀行は、同年六月三〇日、定年を規定の上で三年延長するという点は今少し経済界の情勢を見極めた上で決定することとし、それまでは従前どおりで行きたいことを回答した」と認定しながら、上告人が主張した「昭和二二年六月三〇日に被上告人との組合との間で交渉が行われ、その交渉において実質五八歳定年制を実施することが合意された旨」の主張は認められないと認定している。

原判決は乙第九号証の回答が六月三〇日になされたと認定するが、六月三〇日になされたという証拠はなんらない。原判決が同年六月三〇日になされた銀行側回答とされるものは、乙第九号証では「昭和二二年六月二七日」の日付であり、この控えでは「先月の二十七日に諸君から提出された労働協約の締結その他の件についての御願に就き一応の御返事をして置きたいと思いて御出を願いた次第であります」となっており、六月二七日に「一応の回答」が銀行側からなされたことが明らかである。

これを受けて、甲第四五号証の一にあるとおり六月三〇日に銀行側と交渉がもたれている。

(二) 原判決は「六月三〇日に被控訴人銀行と組合との交渉が行われ、その交渉において実質五八歳定年制を実施することが合意された」という事実がないと、甲第四五号証の二の組合ニュースに明確に交渉過程を報告した書証がありながら、なんら理由を示すことなく認定している。甲第四五号証は原判決も事実認定の証拠としてあげている証拠である(原判決一二丁表で、甲「三八ないし五四」としてあげている証拠である)。

甲第四五号証の一の組合ニュースでは、「第二回大会決議に対する銀行側回答」として「先回大会決議によるお願につき六月三十日銀行側より下記のとおり回答ありました」と、第二回大会決議に基づく組合の六つ要求に対する銀行側の回答に対し、たとえば、「一労働協約締結ノ件」の項では、「協約の内容に付……研究中に付きしばらく待ってほしい」と銀行側の回答を記載した後、かっこ書きで「(組合長より当方にて協約の内容は相当研究済である事及び協約締結が両者の意志を疎通して行運発展を斉すものなることを強調し、猶予期間を一ヶ月とか二ヶ月とか明示してほしい要請せしも、無茶に延引する意志はなく研究出来次第締結の実行に移るから期限は切らないでほしいとの事)」となっており、銀行側の回答に対し、組合側が交渉した結果をかっこ書きに記載している。「三 縣金庫取扱手数料ノ件」の項でも組合長が銀行側の回答に対し、意見を述べたことを報じている。

(三) 定年延長については、甲第四五号証の二で「四 停年制の件」として銀行側から「成文上は現行規を変えず出来るだけ合理的に実行したし、現在五十五才停年はほとんど実行されず事実上延長されている、銀行は高齢者より順次整理せんとしている」と六月二七日付きなされた銀行側回答(乙第九号証)と同じ回答をしたとされ、この銀行側の回答に対し、組合側は停年について重役の裁量に任せたのでは「重役に迎合する者のみが残るが如き気風悪弊生ずるゆえ、成文上合理的基準の誰にもはっきりする基準がなければならず、これは年齢を決めてこれを遵守することにしくはなし」と反論し、交渉している。

その結果、「実質的には組合のお願の線に沿って運営するから成文化することは見合わすことで了承されたい」と銀行側が回答した。この銀行側の回答は組合側から要求のあった行規を改正して成文化することはせず、行規上のでは満五五才定年という規定は残すが(形式上)、実質的には組合側の要求に沿って満五八才定年制を実施、満五八才達齢をもって退職する制度とすることの実施を約束したものである。

以上の点を見るならば、昭和二二年六月三〇日に、組合側は銀行側からなされた回答を単純に聞いたということではなく、銀行側の回答に対し、組合側が反論し、労使で協議し、銀行側が組合の要求を入れて、実施を約束している。

この六月三〇日の労使交渉の結論は、行規上定年を満五八才と改正して成文化はできないが、組合側の要求のとおり行規の規定にも拘わらず定年を三か年延長し実質的に満五八才定年制を実施することを銀行側が約束し、労使合意が成立したことにある。

原判決は甲第四五号証の二に記載されている昭和二二年六月三〇日の組合側と銀行側との定年制に関する交渉とその交渉結果である五八才定年制実施の合意の存在を無視し、日付も違う六月二七日の銀行側回答(乙第九号証)をあたかも六月三〇日になされた組合側と銀行側との交渉結果であるが如く認定することは明らかに経験則に違反するものであり採証法則違反である。

(四) 昭和二二年六月三〇日に組合の要求を入れて、定年満五五才という規定にもかかわらず、定年を満五八歳として運用することを承諾したことは昭和二四年の退職金改定闘争における被上告人銀行の主張に照らせば一層明らかである。

けだし、昭和二四年の退職金改定闘争の際、

① 被上告人銀行は、昭和二四年一一月五日の地方労働委員会調停の場で、「5、又銀行の停年は昭和廿二年組合の要求で三年延長して満五八才としてあるのだから退職金は幾分割引して考えてよいのではないか」とか(甲第八号証、昭和二四年一一月五日開催の地方労働委員会)と昭和二二年六月三〇日の組合と銀行側との交渉で組合の要求を受け入れて定年を三年延長して満五八歳にしたことを前提にした主張をし、

これに対し、組合は

「三〇年勤続者を以って一生涯を銀行業務に捧げたものと見る事は当行で定年を五十八才迄延長してある立前から云ってうなずけない」(甲第七号証一三七頁)などと反論している。

これは被上告人銀行も組合側も昭和二二年六月三〇日の労使合意で定年を満五八歳に延長していることを前提にして労使交渉をしている。

原判決でも「被控訴人銀行は、五五歳定年を組合の要求で五八歳まで延長していることを考慮して退職金を決めるべきである旨主張したが、組合は定年制の問題と退職員の問題は無関係であると反論した」(原判決一四丁裏、一五丁表)と認定している。この原判決の認定でも五八歳まで定年延長は「組合の要求」によるものであることを認定しており、この認定の「組合の要求」は甲第八号証にあるとおり「昭和二二年の組合の要求」であることは明らかである。

② 昭和二四年一二月一二日地方労働委員会から調停案(甲第七号証一三三頁、乙第一四号証)が出され、銀行及び組合は同年一二月二〇日、二一日、二二日の三日間に亘り協議し、同年一二月二二日に受諾し、妥結した(甲第七号証組合史一三八頁)。

この地方労働委員会の調停案(甲第七号証一三三頁、乙第一四号証)の中でも、「調停委員会としても基準金額につき少きに過ぎるとの感を持たないわけではないが、本行の停年制(現在は便宜五十八才に延長しているが規定を励行すれば)五十五才から……」と、被上告人銀行の停年制が規定上の五五才定年制とは異なる扱いがなされ、五八才まで定年が延長されていることを地方労働委員会も認めている。

③ 更に、この調停案が出されてから、銀行及び組合は同年一二月二〇日、二一日、二二日の三日間に亘り協議しているが、この昭和二四年一二月二〇日から三日間に亘る銀行及び組合の協議の中で、銀行側は二〇日の経営協議会に於いて、「現在停年を五十八才迄延長している、だからこの暫定的な取極めであった五十八才停年制をやめて五十五才を厳守したい」と組合側を牽制するために提案してきた(甲第七号証一三八頁)。

経営協議会で「暫定的な取極めであった五十八才定年制」をやめて規定上の五五才定年制を実施したいと被上告人銀行は申し出たというのであり、「暫定的」ではあったとしても五八才定年制は労使の取決め(合意)によって実施されてきたものであることが組合史に明確に記述されている。

組合史(甲第七号証一三八頁)のこの記述でも、五八才定年制が労使の合意(取決め)によって実施されてきたものであることが伺われ、①で述べたように、被上告人銀行が昭和二四年一一月五日の地方労働委員会調停の場で、「5、又銀行の停年は昭和廿二年組合の要求で三年延長して満五八才としてあるのだから……」と主張したという事実とあわせるならば、昭和二二年六月三〇日に銀行側と組合との交渉により甲第四五号証の二の組合ニュースのとおり五八才定年制の実施についての合意が成立したことが明らかである。

④ また、昭和二四年一二月二三日付の組合に対する被上告人銀行からの「経営協議事項通知の件」と題する書面(乙第一七号証)にも、「停年の取扱に関し現在満五八才まで停年退職の期限を延長しておるが」と記載し、被上告人銀行自身、定年を満五八才として運用してきたことを自ら認めている。

以上の点を見れば、昭和二二年六月三〇日の労使協議の結果、被上告人銀行は組合の要求を入れて労使の取決めがなされた、五八才定年制が実施されてきたことは明らかである。

①から④まであげた甲第七号証、甲第八号証、甲第四五号証、乙第一七号証はいずれも、原判決も事実認定の証拠として援用している証拠であり、これらの証拠があげながら、実質五八才定年制が昭和二二年五月の組合からの要求を入れて被上告人銀行との取決めに基づいて実施されてきたものであることを否定する原判決は明らかに経験則に反する認定である。

2 昭和二五年三月三〇日の「停年制及び勤続年数に関する」協定(乙第一八号証)の成立による満五八才定年制の再確認

(一) 昭和二四年秋頃からの退職金の改定における労使協議において、銀行側は昭和二四年一二月二三日に「一、退職金規程の勤続年数に関する件」と「二、停年規程に関する件」を経営協議するよう組合側に申し入れた(乙第一七号証)。

右経営協議事項の申し入れの内容は、「停年の取扱に関し現在満五十八才迄停年退職の期限を延長して」いるのを、昭和二五年一月一日から「三ケ年後は全部停年満五十五才を実施すること」を組合側と協議したいというのである。つまり、現行の満五八歳定年制を組合と協議して変更したいと銀行側が申し入れをしている。

このことは裏を返せば、組合と協議し変更しなければ、満五五歳定年を実施できないことを意味している。すなわち、被上告人銀行においては行規上の規定にも拘わらず、定年が三か年延長されて満五八才定年制が確立され、この当時、既に労使の合意に基づく労使慣行として成立していたことを意味しているといえる。

もし、被上告人銀行が主張するように、「定年は満五五歳とし、定年に達した者の在職を認めるかどうかの裁量権を被上告人銀行に保留したもの」であったならば、満五五歳定年を実施するについて、組合と協議する必要はまったくないはずである。満五八歳定年制が労使慣行となっているからこそ、経営協議事項としてその変更を申し入れたといえる。

(二) 更に、満五八才定年制が右当時の「停年に関する現行制度」として確立し、労使慣行となっていたことは、昭和二五年三月三〇日の協定書(乙第一八号証)の記載からも読み取れる。

昭和二五年三月三〇日の協定書(乙第一八号証)では、第二号議案の「停年規程に関する件」は「適当なる時期において更に銀行及び組合双方が自主的に且つ有効的に協議するものとする」とし、この「協議の結果停年制に関する現行制度の改定迄の間」特別慰労金を支給することになっている。

右協定書でいう「停年制に関する現行制度の改定」とは第二号議案の「停年の取扱に関し現在満五八才迄停年退職の期限を延長しておる」現行制度を改正することを指すことは明らかである。このことは右協定書締結当時において、「停年の取扱に関し現在満五八才迄停年退職の期限を延長しておる」停年制度が「停年制に関する現行制度」であると労使双方とも認識し、それを前提にして、乙第一八号証の協定書を締結している。満五八才定年制が「定年制に関する現行制度」として労使慣行となっていたことがうかがえる。

乙第一八号証の協定書は、定年制に関しては労使双方で適当な時期に再度協議すると形にはなっているが、裏を返せば、現実には行規の規定にも拘らず、「停年の取扱に関し現在満五八才迄停年退職の期限を延長しておる」現行定年制度の改正の協議が整うまで、現行制度を実施するということを協定したことになり、この協定の成立はいわば、「満五八才まで停年退職の期限を延長して」定年を取り扱うという被上告人銀行における満五八才定年制の労使慣行を再確認したものといえる。

特別慰労金は右協定書の成立以降、昭和五八年四月一日に本件新定年制が実施されるまで支給されていた。「停年制に関する現行制度の改正」されるまでの暫定的措置として設けられた特別慰労金が本件六〇才定年制導入まで支給されてきたということは乙第一八号証の協定書でいう「満五八才迄停年退職の期限を延長しておる」定年制度は改正されないで続いていたことを裏付けるものである。

(三) 以上のとおり、昭和二五年三月三〇日の協定(乙第一八号証)の成立により、満五八才定年制の労使慣行を労働協約上でも再確認したものである。

被上告人銀行の主張するような「満五五才達令者の在職を認めるか否か」の裁量なるものの余地はまったくないのである。

3 昭和二二年六月三〇日の銀行側の回答による労使合意以降、一貫して実質満五八才定年制が労使慣行となっていたことは、昭和五七年に作成された定年制に関する討議資料からもわかる。

組合は昭和五七年一〇月、「定年延長実現にむけて」と題する討議資料を作成しているが、その中で、「私たちは現在定年制については、……実質定年五八才の定年後在職制度をもってきています。定年後はそれ以前と変らない条件で三年間引続き勤務することができるこの制度は、これまでのながい歴史的過程のなかで慣行として築きあげてきたすぐれたものであ」る(乙第一〇二号証)と、労使慣行として満五八歳定年制を築いてきたことを組合員に説明している。

更に、本件六〇才定年制の交渉過程でも、組合は被上告人銀行に対し、「我々は現行定年制について定年は五五才としつつもこれまで長い歴史的過程のなかで慣行として築きあげてきた実質定年五八歳の定年後在職制度をもってきている」(乙第一〇四号証)と主張し、実質満五八歳定年制が労使慣行として長い間実施されてきたことを主張している。

以上のとおり、本件六〇歳定年制の交渉過程でも、組合側は実質満五八歳定年制という労使慣行を主張している。

三 実質五八才定年制を内容とする労働契約の成立

1 実質五八才定年制を内容とする労働契約関係

(一) 労使間において、労働条件等に関し、特定の行為が長年、反復・継続し、慣行となることが見受けられるが、当該行為が労使間の明示ないし黙示の合意の基礎を得て反復される場合とそうでない場合とがある。

特に、労使間の合意が労働協約としての要式を具備しない場合でも、そのような不文の集団的合意が履行され長期間反復継続され、慣行となることは異論がない。しかも、このような労使間の合意に基づく場合は規範意識をもって履行されるものであることから、労使慣行として容易に成立することはいうまでもない。

(二) ところで、使用者と労働者との間の労働契約の内容がいかなるものかは、就業規則や労働協約ばかりでなく、労使慣行も考慮されなければならないことは異論のないことである。

一般に慣行には、社会の法的な確信によって支持される程度までに達している慣習法(法例二条)とその程度に達していない事実たる慣習(民法九二条)があるとされるが、労使慣行が労使双方に法的拘束力を持ち得るのは、労使慣行が民法九二条で規定する「事実たる習慣」と解されるからである。特に、労使合意に基づく慣行は規範意識の伴うものであるから、当該労使慣行が事実たる慣習として容易に形成されることはいうまでもない。民法九二条は「当事者カ之ニ依ル意思ヲ有セルモノト認ムベキトキ」と規定しているが、これを、判例・通説は「一方が慣習に従わないという意思を積極的に表示していないかぎり」という意味に解釈し、当事者は慣習の存在を知っている必要はないとしている。

この結果、特定の行為の反復によって個別的労働関係、たとえば労働条件について労使慣行が存在するにいたれば、それは事実たる慣習として労働契約の中身を補充してその内容となり、労働条件の改変が行われることになる。

また、労働契約締結の際、労使慣行が存在しておれば、労働契約の内容も当該労使慣行に基づく労働条件によるものと考えられるから、労使慣行が個別労働契約関係における内容となることも明らかである。

労働基準法九三条の反対解釈から、就業規則で定める基準以上の労働条件を定める労働契約が有効に成立することは認められるのであり、就業規則の規定にもかかわらず、労使慣行が事実たる慣習として労働条件の内容を形成していくことは認められる。

(三) 前述したとおり、本件においては、昭和二二年五月になした定年延長(満五八歳までの三年間)の組合要求を入れて、同年六月三〇日に被上告人銀行が「実質的には組合のお願いの線に沿って運用するから、成文化することは見合わすことで承知されたい」(甲第四五号証の二)と約束することによって、実質五八才定年制を実施するとの労使合意が成立した。

右合意以降、実質五八才定年制が実施され、定年が三か年延長されたが、昭和二五年三月三〇日に、満五八才まで定年退職の年限を延長している定年制が労使協議で改正されるまで、特別慰労金を支給するという協定(乙第一八号証)が成立したことで、実質五八才定年制が労使慣行として再確認され、定年制問題に決着がついたのである。右以後、本件六〇歳定年制が導入されるまで、満五八歳定年制が一貫して実施されてきた。

まさに、満五八才定年制は労使間の合意を基礎に、両当事者が右合意に従う意思を有して、すなわち規範意識に支えられながら、長年反復・継続して実施されてきたものである。確立した労使慣行であることは上告人の原審における準備書面(控訴審第一回、一三〜二〇頁)で主張したとおりである。

第一審判決は「男子行員については、勤務に耐え得る健康状態にある限り満五八才まで本件定年後在職制度の適用を受けることができるという慣行が長年にわたって行われてきた」と認めることができ、「右の慣行は、被告銀行とその従業員らとの間で、運用され、これまでに、明示的に右慣行によることを排斥する事実は全く認められず、運用面において被告銀行内の制度として確立していたということができる」と正当に認定している(第一審判決一五三頁)。そして、このような慣行は「事実たる慣習として、被告銀行およびその従業員双方に対する拘束力を有していたと認めることができ」ると判示している。

原判決も「男子行員については、五五歳定年に達しても引続き在職を希望したきは、健康上の理由で勤務に耐えない者を除いて、定年後在職が認められてきた」ことは「被控訴人銀行において広く定着した慣行的事実であ」る(原判決三八丁裏)と認定しており、被上告人銀行においては実質五八才定年制が労使慣行となっているのであり、事実たる慣習として、被上告人銀行と上告人との間における個別労働関係においても、労働契約の内容となっていることは明らかである。

2 ところで、本件六〇才定年制が上告人の既得権を侵害し、労働条件の不利益変更であることを判断するには、遅くとも、本件六〇才定年制を導入した昭和五八年四月一日までに、実質満五八才定年制が労使慣行として成立しておれば足るのであって、労使慣行が成立した時期が明確でなければ判断できないというわけではない。

しかしながら、あえて、労使慣行の成立の時期を論ずるならば、前述したように、少なくとも、昭和二五年三月三〇日の協定書(乙第一八号証)が成立した当時、実質五八才定年制が労使慣行として確立していたといえる。

したがって、上告人は昭和二八年四月一日に被上告人銀行に入社しているが、上告人が被上告人銀行との間で、昭和二八年四月一日に労働契約を締結した当時、被上告人銀行においては実質五八才定年制が労使慣行として存在していたのであるから、労働契約の締結の当初から労働契約の内容となっていた。

昭和二八年八月八日から「組合員必携」が発行され(甲第一五〇号証)、組合員必携には健康である限り定年が三年間延長され、定年に関する協定として「宣言規定として五五歳であるが、実質は五八歳である」との記載がなされるようになる(原判決二一丁表)。

他方、被上告人が作成する行報にも、原判決も認定するように「昭和三〇年の行報に『満五八歳が停年です』という台詞付きの漫画が掲載され」(原判決二一丁表)、上告人の入行時には労使とも、実質五八歳定年制であることを認めて行員に広報していた。

3 しかも、上告人が入社した際、被上告人銀行の西村部長が被上告人銀行の定年制度を説明しているが、その説明でも、実質満五八才定年制であることを説明している。

このことは上告人が入社当時、既に満五八才定年制が労使慣行として成立していたからであり、右西村部長の説明により個別の労働契約の締結の際、満五八才定年制を労働契約の内容とする明示的な合意が成立している。この点からも、満五八才定年制が労働契約の内容となっていたことは明らかである。

4 以上のような重要な事実がありながら、原判決はなんらの認定をすることなく、実質五八歳定年制、すなわち「男子行員については引き続き仕事に耐えうる健康状態である限り定年後在職制の適用を受けることができ、五四歳時と同じ定例給与が支給され、定期昇給も行われ、賞与も役付手当も五四歳時と同じ額が支給されるという労働条件で五八歳まで働く権利を有する制度」が上告人の個別労働契約関係においても労働契約の内容となっており、上告人の既得の権利であることとの主張に対し、原判決はなんらの判断を示しておらず、理由不備の違法がある。

第五、就業規則の変更の効力に関する法例の解釈適用を誤った違法

一 はじめに

1 原判決は、「本件定年制の採用により行員が受けることとなる不利益の性質、内容及び程度と、本件定年制を採用するに至った被控訴人銀行の諸事情、本件定年制の内容ないしその賃金水準とを比較考量し、同時に行われたその他の労働条件の改善状況、組合との合意の存在等の諸事情をも総合的に勘案すると、本件定年制を定めた就業規則の変更は、それによって控訴人が被った賃金面の不利益を勘案しても、なお、定年制度改革期における労働条件の定めとして合理性を失うものではないと認めるのが相当である。……本件就業規則の変更は有効と認めるべきである」(四六〜四七丁)として、上告人の請求を排斥した。

2 しかしながら、本件定年制においては、上告人の賃金面の不利益に対する直接の代償措置や経過措置を含む緩和措置は何ら存在せず、また「同時に行われたその他の労働条件の改善状況」も代償措置に代替しうるだけの実質を備えていないことは明らかである。

そのような場合についても「合理性を失うないものではない」とすることは、後述する御国ハイヤー事件最高裁判決(昭和五八年七月一五日第二小法廷判決、労働判例四二五号七五頁以下)に抵触するばかりか、「賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更については、当該条項が、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合において、その効力を生ずる」とした大曲農協事件最高裁判決(昭和六三年二月一六日第三小法廷判決、労働判例五一二号七頁)にも抵触する。

3 よって、「本件定年制を定めた就業規則の変更は……定年制度改革期における労働条件の定めとして合理性を失うものではない」とした原判決には、就業規則の変更に関する法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであり、破棄を免れない。

以下、これについて詳述する。

二 就業規則の不利益変更の「合理性」に関する最高裁判決の理論

1 原判決は、「就業規則の変更によって、労働者の既得の権利を奪い、労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは、原則として許されないが、労働条件の集合的処理を建前とする就業規則の性質からいって、当該条項が合理的なものである限り、個々の労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒むことはできない」として、秋北バス事件最高裁判決(最判昭和四三年一二月二五日民集二二巻一三号三四五九頁)を引用しているが、問題は、「当該条項が合理的なもの」であるためには、どのような要件が必要かという点である。

これについて、秋北バス事件最高裁判決以降の最高裁判決は次のように判示している。

(1) 御国ハイヤー事件最高裁判決(昭和五八年七月一五日第二小法廷判決、労働判例四二五号七五頁以下)は、「退職金支給規定は就業規則としての性格を有しており……その変更は……不利益を一方的に課するものであるにもかかわらず、上告人はその代償となる労働条件を何ら提供しておらず、また、右不利益を是認するような特別の事情も認められないので、右の変更は合理的なものということはできない」とする「原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当とし是認することができ」ると判示し、「不利益の代償となる労働条件の提供の有無」と労働者の「不利益を是認する特段の事情の有無」があれば、変更の合理性を肯定する余地があるとしている。

(2) また、タケダシステム事件最高裁判決(昭和五八年一一月二五日第二小法廷判決、労働判例四一八号二一頁)では、「変更が合理的なものであるか否かを判断するに当たっては、変更の内容及び必要性の両面からの考察が要求され、右変更により従業員の被る不利益の程度、右変更との関連の下に行われた賃金の改善状況のほか、……旧規定の下において有給生理休暇の取得について濫用があり、社内規律の保持及び従業員の公平な処遇のため右変更が必要であったか否かを検討し、更には労働組合との交渉の経過、他の従業員の対応、関連会社の取扱い、我が国社会における生理休暇制度の一般的状況等の諸事情を総合勘案する必要がある」とし、合理性の判断については、「右変更との関連の下に行われた賃金の改善状況」を含めて「諸事情を総合勘案」すべきであるとしている。

(3) さらに、大曲農協事件最高裁判決(昭和六三年二月一六日第三小法廷判決、労働判例五一二号七頁)は、「就業規則が合理的なものであるとは、当該就業規則の作成又は変更が、その必要性及び内容の両面からみて、それによって労働者が被ることになる不利益の程度を考慮しても、なお当該労使関係における当該条項の法的規範性を是認できるだけの合理性を有するものであることをいうと解される。特に、賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更については、当該条項が、そのような不利益を労働者に法的に受任させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合において、その効力を生ずるものというべきである」と判示している。

3 以上から明らかなように、秋北バス事件最高裁判決以降の最高裁判決は、就業規則の合理性に関する判断基準として、「不利益の代償となる労働条件の提供の有無」または労働者の「不利益を是認する特段の事情の有無」を強調し(御国ハイヤー事件最高裁判決)、あるいは就業規則の「変更との関連の下に行われた賃金の改善状況」を含めて考慮し(タケダシステム事件最高裁判決、さらに「不利益を労働者に法的に受任させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容」であることを必要としている(大曲農協事件最高裁判決)。

とくに大曲農協事件最高裁判決では、「当該条項が、そのような不利益を労働者に法的に受任させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容」であるかどうかを検討するにあたっては、「関連するその他の労働条件の改善状況」を詳細に検討していることに留意すべきである。

すなわち、右事件の上告理由によれば、被上告人らは合併に伴う給与是正措置や定年延長、その他の労働条件の改善措置によって、「新退職給与規定を適用することによって被る不利益を十分カバーしていて、その見返りないし代償の役割を十分果たして」いるとしている。そして右最高裁判決も、「本件合併に伴って被上告人らに対してとられた給与調整の退職時までの累積額は、賞与及び退職金に反映した分を含めると、おおむね本訴における被上告人らの前記各請求額程度に達していることを窺うことができ」るとし、さらに、合併後に被上告人らは休日・休暇、諸手当、旅費等の面で有利な取扱いを受けるようになったことをも考慮し、「これらの措置は、退職金の支給倍率の低減に対する直接の見返りないし代償としてとられたものではないとしても、同じく本件合併に伴う格差是正措置の一環として、新規定への変更と共通の基盤を有するものであるから、新規定への変更に合理性があるか否かの判断に当たって考慮することのできる事情である」としている。

このように、大曲農協事件の場合における「労働条件の改善」は、不利益に対する直接の代償の意図の下になされたものではなくても、代償措置・緩和措置に代替しうるだけの実質を備えたものであった(土田道夫「定年制の不利益変更を定めた労働協約・就業規則の効力――朝日火災海上保険事件」ジュリスト九六五号九九頁参照)。

4 前述したように原判決は、「合理性の有無の判断に当たっては、就業規則の変更によって労働者の被る不利益の性質、内容及び程度と変更の必要性及びその内容との比較考量を中心に諸般の事情を総合的に勘案して、これを決定すべきである」(三六丁)とし、具体的には、「本件定年制の採用により行員が受けることとなる不利益の性質、内容及び程度と、本件定年制を採用するに至った被控訴人銀行の諸事情、本件定年制の内容ないしその賃金水準とを比較考量し、同時に行われたその他の労働条件の改善状況、組合との合意の存在等の諸事情をも総合的に勘案」(四六丁)したとしている。

しかし、本件定年制の導入にあたっては、上告人の賃金面の不利益に対する直接の代償措置や経過措置を含む緩和措置はなく、また原判決が判示する「同時に行われたその他の労働条件の改善状況」も代償措置・緩和措置に代替しうるだけの実質を備えていないことは、後に詳述するとおりである。

三 原判決における「不利益」の認定とその問題点

1 原判決は、「停年後在職の実情から、被控訴人銀行において、就業規則に五八歳定年の定めがある場合と同じような実質五八歳定年制が採用され、行員が五五歳後も当然に従来の水準を下まわらない労働条件で五八歳まで勤務できる既得の権利ないし法的地位を有していたと認めることは困難である」(三八丁表)としながらも、「男子行員について長年継続されてきた停年後在職の運用は、これを就業規則に根拠をもつ労働条件と同じ既得権とみることはできないにしても、被控訴人銀行において広く定着した慣行的事実であり、特別のことがなければ右運用によって停年後在職ができると考えてきた男子行員、とりわけ右運用を前提にして生活設計を立ててきた中高年齢層男子行員の期待的利益は保護に値するものといわなければならない。就業規則の上で五五歳定年制がとられているからといって、延長された五五歳後の労働条件をどのように定めても不利益変更の問題を生じる余地がないと解することはできない」(三八丁裏)と判示する。

2 さらに原判決は、「本件定年制によって、定年は延長されたが、五五歳からの年間賃金が五四歳時の六三パーセントないし六七パーセントに減額されたため、延長された五五歳から六〇歳退職までの間に得られる賃金(定例給与及び賞与)の総額が、停年後在職制度の下で五五歳から五八歳まで勤務した場合に得ることができた賃金の総額とあまり変わらなくなったことは前述したとおりである」(三九丁表)とし、「このように、定年が延長されて賃金を得る期間が長くなっても、五五歳以降の年間賃金が減額されたため停年後在職制度の下で五八歳まで勤務すれば得られたのとほぼ同額の賃金を、六〇歳定年まで勤務しなければ得ることができなくなるのは、その限りで不利益な変更である」(三九丁裏)と判示する。

3 なお、実際に上告人が被った賃金の不利益について、原判決は、「控訴人が定年後在職制度の下で五五歳から五八歳まで得ることができた賃金の合計額は二八七〇万九七八五円であるのに対し、本件定年制により五五歳から五八歳までの間に得た賃金の合計額は一九二八万〇一三三円であり、後者が九四二万九六五二円少ない。このような差が生じたのは、定例給与の減額幅は月数万円から一二万円程度であるが、賞与が従前の約三分の一近くになったためである。しかし、本件定年制により六〇歳まで勤務した場合の五五歳以降の賃金の合計は三〇七八万七二七八円であり、停年後在職制度により五八歳で退職した場合の賃金総額より二〇七万七四九三円多い計算になる」(三三丁以下)としている。

また、退職金については、「控訴人は、本件定年制により、六〇歳退職時に一二二九万九〇〇〇円の退職金を受けた。定年後在職制度の下で五八歳退職を前提にして計算すると、五五歳定年時の本俸で計算される退職金一一七二万四三八〇円と満五八歳までの停年後在職分の特別慰労金三三万二九二〇円の合計一二〇五万七三〇〇円となり、本件定年制による方が二四万一七〇〇円多い」(三四丁)としている。

4 このように原判決は、本件定年制が、「定年後在職制度の下で五八歳まで勤務すれば得られたのとほぼ同額の賃金を、六〇歳定年まで勤務しなければ得ることができなくなる」点で「不利益な変更」であると認定している。

しかし、その一方で、原判決は、「控訴人は、前記不利益を目して、五八歳達齢後の二年間をただ働きさせるに等しいものであると主張する。確かに、賃金総額の計算上からはそのようにいうこともできないではないが、現実的にみれば、社会の高齢化が急速に進み、高年齢退職者がしかるべき条件で再就職する機会も必ずしも保証されていない状況下で、生計の資としての賃金について、従前の額による賃金収入が遅くても五八歳までに終わりになることと、従前の賃金が五五歳以降は減額されるものの、六〇歳までは収入が確保されて減額分を取り戻せることとの実生活上の利害得失をどのようにみるかという問題である。この観点からは、後者の賃金体系をとっても、減額後の賃金、殊に毎月の定例給与が一定の水準に維持される限りは、それによる不利益が前者の賃金体系に較べてはるかに大きいと一概に断定することはできない」(三九丁以下)と判示する。

しかしながら、右判示は、実生活上の利害得失の何たるかを全く理解しない机上の空論というべきである。

五五歳から五八歳まで三年間で働いた場合に得られる賃金総額と、従前の賃金が五五歳以降は減額されるものの、六〇歳まで五年間で働いて得られる賃金総額を比較した場合、たとえ前者の賃金総額と後者の賃金総額が同じであっても、後者の場合は、前者の場合よりも二年間余分に働いているのである。同じ賃金を得るのに、三年間働いてもらうか、五年間働いてもらうかを比較した場合、実生活上の利害得失からいえば、三年間働いてもらったほうがはるかに有利である。「従前の賃金が五五歳以降は減額されるものの、六〇歳までは収入が確保されて減額分を取り戻せる」と言っても、後者の場合は、二年分余分に働いているのであり、決して「減額分を取り戻せる」ことにならない。このことは、実生活上の感覚からいえば自明の理である。三年間で得られる賃金が五年間働かなければ得られないような賃金の減額を伴う就業規則の変更は、まさに「二年間のただ働き」を強いるものというべきである。

前述したように原判決は、その場合であっても、「減額後の賃金、殊に毎月の定例給与が一定の水準に維持される限りは、それによる不利益が前者の賃金体系に較べてはるかに大きいと一概に断定することはできない」というが、たとえ減額後の賃金が一定の水準に維持されているとしても、減収による不利益の程度は、就業規則変更前後の賃金の格差によって算定するほかないのであり、現実に労働者が得ていた賃金水準を離れて、漠然と「一定の水準」を持ち出すことは、これまた実生活の利害得失の何たるかを忘れた議論というべきである。

5 なお、原判決は、「定年後在職する男子行員でも実際に五八歳まで勤務が保障されていたとはいいがたいし、また、女子行員及び健康上支障のある男子行員には定年後在職そのものが認められなかったのであって、こうした五八歳まで在職できない行員のことを考えれば、本件定年制が賃金面で行員に不利益のみをもたらすものであるとはいえないことになる」と判示しているが(四〇丁)、これは議論のすりかえであり、また現状を無視した誤った事実認定である。

原判決も指摘するように、仮に定年後在職の運用が、「慣行的事実」であるとしても、「右運用を前提にして生活設計を立ててきた中高年齢層男子行員の期待的利益は、保護に値するもといわなければならない」(三八丁裏)のであり、ここで問題になっているは、本件定年制の導入によって上告人の賃金がどのような不利益を被るかという点である。

しかも、実際の定年後在職制度の運用は、「定年後在職する男子行員でも実際に五八歳まで勤務が保障されていたとはいいがたい」とは言えず、むしろ第一審判決が認定したように、「男子一般行員の病気(死亡を含む。)の者以外の者に対する本件定年後在職制度の満五八歳までの適用率が約九八パーセント(低めに見積もっても約94.1パーセント)であり、男子庶務行員の同様の適用率が約96.8パーセントであることからすれば、業務上の必要性及び当該従業員の職務遂行能力についてはもちろんのこと、男子行員については勤務を必要とする家庭事情であることについてもこれを審査する裁量権を被告銀行が有していたとしても運用面で、それを充分に生かして運用していたものとは到底認められない。従って、男子行員について本件定年後在職制度を適用するかどうかを検討するにあたっては、被告銀行は当該男子行員が勤務に耐え得る健康状態であるか否かを審査することで運用していたものであると認められるのである」(第一審判決一四四頁以下)。

また、被上告人銀行では、「本件定年後在職制度の運用について男子行員と女子行員とでは異なった取扱いをしていたのであるから、本件定年後在職制度の運用の実態をみる場合に男子行員と女子行員を一緒にして検討するのは相当ではない」(第一審判決一三四頁以下)ことは明らかである。

このように、健康に何ら問題ない男子行員たる上告人にとっては、定年後在職制によって当然に満五八才達齢まで勤務することができる状況にあったのであり、原判決の指摘は的外れであるというべきである。

6 以上で指摘したように、本件定年制に関する就業規則の変更の合理性を判断するに当たっては、上告人の被った不利益が十分に考慮されなければならない。実際に上告人が被った賃金の不利益は、原判決の認定によれば、「本件定年後在職制度の下で五五歳から五八歳まで得ることができた賃金の合計額は二八七〇万九七八五円であるのに対し、本件定年制により五五歳から五八歳までの間に得た賃金の合計額は一九二八万〇一三三円であり、後者が九四二万九六五二円少ない」のである。

一方、原判決の認定では、上告人は、「本件定年制により六〇歳まで勤務した場合の五五歳以降の賃金の合計は三〇七八万七二七八円であり、停年後在職制度により五八歳で退職した場合の賃金総額より二〇七万七四九三円多い計算になる」が、その場合、上告人は、二年間余分に働いていることを念頭に置くべきである。

そうだとすれば、本件定年制によって上告人の被る賃金の不利益は甚大であることは明らかである。

原判決は、満五八歳まで在職できない行員のいたことを考えれば、本件定年制が賃金面で行員に不利益のみをもたらすものであるとはいえない」とするが、前述したように、男子一般行員の病気(死亡を含む。)の者以外の者に対する本件定年後在職制度の満五八歳までの適用率が約九八パーセントであり、上告人が停年後在職制度のもとで満五八歳まで勤務することが確実であったことを考慮すれば、本件定年制は、上告人に対しては賃金の大幅な不利益をもたらすものであることは明らかである。

そして、本件においては、上告人の右不利益に対する直接の代償措置や経過措置を含む緩和措置はなく、また原判決が判示する「同時に行われたその他の労働条件の改善状況」も代償措置・緩和措置に代替しうるだけの実質を備えていないことは、後述するとおりである。

四 本件就業規則変更の必要性及び内容に関する原判決の認定と問題点

1 原判決は、「定年延長に伴う問題として、人件費の増大、人事の停滞及び企業活力の低下等が指摘され、これらに対応するには従来の年功序列型の賃金体系や人事管理を見直す必要があることは、多く指摘されていたところ」であり、「被控訴人銀行では、中高年齢層行員の比率が地方銀行の平均より高く、今後さらに高齢化が進む見通しであり、ポスト不足も増える反面で、経営効率及び収益力が充分とはいえない状況であったことに鑑みれば、六〇才への定年延長に伴い賃金水準等の修正を行う必要があった」こと、そして「被控訴人銀行が、定年延長を円滑に進めるために、従前の定年である五五歳までの給与体系を当面は動かさず、定年後在職となる五五歳以降の給与についてのみ特別の措置をとることとしたことも、首肯できるとし、「定年を六〇歳まで延長することについて、五五歳以降の年間賃金を五四歳時よりも減額することとした被控訴人銀行の経営判断が、当時の状況において根拠と必要性を欠くものであったとは認められない」(四一丁以下)と判示する。

しかしながら、「六〇歳への定年延長に伴い賃金体系等の修正を行う必要があった」としても、そのことが直ちに「五五歳以降の給与についてのみ特別の措置をとる」根拠にはなりえないことは明らかであり、従前の定年後在職制のもとで満五八歳まで賃金の減額なしで働くことができた上告人にとって、かかる銀行の経営判断は、まさに上告人の既得の権利もしくは期待的利益を奪うものであったというべきである。

ましてや上告人銀行においては、従前の定年後在職制のもとで、五五歳達齢後も五八歳達齢まで一貫した処遇が行われていたこと、本件定年延長の労働条件として、「職務処遇については、現行の体系を継続して考え、生きがい、働きがいのもてるものとする。賃金および退職金については、現行諸制度および体系を基本とする」(原判決二四丁裏)とすることが従業員組合の当初からの要求であったこと、組合の中には銀行の回答ならびに修正回答に対し、「五五歳以降の年間賃金が五四歳時の六三ないし六七パーセントに低下することを不満とし、執行部の対応を厳しく批判する意見もあったこと」(原判決二八丁)からすれば、かかる銀行の経営判断は「定年延長を円滑に進めるため」のものではなく、六〇歳定年を口実に五五歳以降の人件費を大幅に削減し、従業員間の分断と混乱を引き起こすものであったというべきである。

2 原判決は、「本件定年制により六〇歳定年まで勤務して得られる年間賃金総額が、従前の停年後在職制度により五八歳まで勤務した場合の年間総賃金とあまり変わりがないことは、前記のとおりである」が、「本件定年制による賃金水準を五五歳定年を延長した他銀行の例と比較してみると、従前賃金の六十数パーセントに減額することが特に異例とは認められないし、減額後の賃金額は地方銀行の最上位の部類に属するものである。統計に現れた五五歳以降の年代の全国平均消費支出や新潟県下の平均賃金からみても、本件定年制による減額後の賃金が一般的な生活水準以下のものであったとは認められない」から、「年間賃金が減額されることになったとはいえ、その賃金が一般水準からみて低きに失し、社会的相当性を欠くものであったとはいえない」(四二丁裏以下)と判示する。

しかしながら、このような原判決の論法が通用するならば、一般水準を超える賃金を支給しているあらゆる企業が、六〇歳定年延長を口実に、一般水準並に賃金を切り下げることが可能ということになりかねず、労働者の既得の権利や期待的利益は、空洞化しかねない。

かかる判断は、「特に、賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更については、当該条項が、そのような不利益を労働者に法的に受任させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合において、その効力を生ずるものというべきである」とする前記大曲農協事件最高裁判決にも抵触するものというべきである。

3 さらに原判決は、「本件定年制採用後の福利厚生制度を従前の停年後在職制度当時と比較すると、……(一) 定年前に勧奨又は自己都合で退職した場合の退職金が増額され、(二) 災害補償の補償期間が延長され、(三) 家族年金の受給期間が延長され受給額も増額され、(四) 一年定期団体保険による弔意金、傷病見舞金の適用年齢が延長され支給額も増額され、(五) 五五歳以上の行員につき特別融資制度が新設され、住宅貸付について返済負担の軽減が図られる、といった各種の改善策がとられている。これらは、直接には年間賃金の減額に対する代償措置とはいえないにしても、本件定年延長の一環をなすものであるから、合理性判断の一要素として評価すべきものである」(四四丁裏以下)と判示する。しかしながら、

(1) 定年前に勧奨又は自己都合で退職した場合の退職金の増額は、例えば、上告人の例にとると、本件定年後在職制度の適用を受けて満五八歳で退職した場合の退職金は、一二〇五万七四〇〇円であったのが、自己都合退職で一二〇八万四一〇〇円(三万円足らずの増加)に、勧奨に応じて他企業へ就職した場合で一三二九万二六〇〇円(一二三万円余の増加)に増額されることになるが(第一審判決一六六頁以下)、上告人が五五歳から五八までの金額が合計九四三万円減額されることと比較すれば、到底問題にならないし、右増額はそもそも六〇歳定年延長とは裏腹に、わずかの退職金増加分をエサにして六〇歳以前の退職を奨励せんとするものであるから、代償措置に代替しうるものでもなく、またその実質を備えたものでないことは明らかである。

(2) また、災害補償の補償期間の延長、家族年金の受給期間の延長や受給額の増額、一年定期団体保険による弔意金や傷病見舞金の適用年齢の延長ならびに支給額の増額、五五歳以上の行員の特別融資制度の新設、住宅貸付についての返済負担の軽減についても、これらの制度は賃金とは異なるものであり、五五歳以降の大幅な賃金減額の代償となりえない。

そもそも災害補償制度、家族年金制度、弔意金、傷病見舞金制度は、そのような事態が生じなければ給付の必要はなく、被上告人銀行の負担も生じないのである。かような行員の不幸な事態、希有の事態に対応するための制度を若干充実したとしても、賃金の大幅減額の代償措置となりえないことは明らかである。

また特別融資制度も、その融資を必要とする行員にとってのみ関係のある制度であり、本件定年制の実施により大幅に賃金が引き下げられ、これまでの生活設計を破壊させられた行員が、右特別融資制度を利用せざるをえない状況に追い込まれることは予想されるとしても、本件定年制の実施がなければ、特に右制度を新設する意味はなく、大部分の行員にとってはほぼ無縁のものであり、これまた賃金の大幅減額の代償措置とは到底言えないもである。

このように、右「各種の改善策」は、原判決も指摘するように直接には年間賃金の減額に対する代償措置ではなく、また代償措置に代替しうるだけの実質をそなえた労働条件の改善にも当たらないものである。しかも、これらの改善策によって上告人が具体的な利益を得ることはほとんどなく、就業規則の変更との関連の下に行われた代償措置が上告人の被る不利益を緩和する度合はほぼ皆無というべきである(なお、第一審判決一七六頁参照)。

したがって、これらの措置について、「本件定年延長の一環をなすものであるから、合理性判断の一要素として評価」することは、前記大曲農協事件最高裁判決の趣旨に照らしても不当というべきである。

4 原判決は、「本件定年制の実施について、行員の約九〇パーセントで組織している従業員組合は被控訴人銀行と交渉し、これに同意している」ことをあげ、「行員の利益を代表する立場にある組合との協議及び合意に基づいて定年制の内容を決定したことは尊重されてしかるべきである」(四四丁)と判示する。

しかしながら、本件定年制は被上告人銀行と従業員組合との間で締結された労働協約をもとに導入されたものであり、右協約締結当時、上告人は、管理職の地位にあり、しかも非組合員であった。そのため、右労働協約の締結については、上告人の意見を従業員組合を通じて反映させることもできない状況に置かれていた。

とくに右労働協約の締結にあたっては、該当年齢層からの不満が多く寄せられ、原判決も指摘したように、組合員の中には、「五五歳以降の年間賃金が五四歳時の六三ないし六七パーセントに低下することを不満とし、執行部の対応を厳しく批判する意見もあった」(原判決二八丁)ことは前述したとおりである。

したがって、組合と銀行間の合意があったことをもって、上告人の大幅な賃金の減額を悉く合理化することは不当というべきである。

五 総合判断とその不当性

1 原判決は、「一般的にいうと、定年延長に伴い旧定年時より前の時期にまで遡って労働条件を不利益に変更することは、定年延長と労働条件の低下との引き換えにほかならず、定年延長の趣旨に照らし、原則としてたやすくその合理性を肯定することができないと考えられる。しかし、被控訴人銀行において行われた定年後在職制度は、前判示のとおり実質満五八歳定年制を採用したものとは認められないものであるから、右定年後在職制度の運用慣行が本件定年制により改変されたからといって、直ちに旧定年時より前の時期の労働条件を不利益に採用する場合と同列において論じることはできない」としたうえで、「本件定年制の採用により行員が受けることとなる不利益の性質、内容及び程度と、本件定年制を採用するに至った被控訴人銀行の諸事情、本件定年制の内容ないしその賃金水準とを比較考量し、同時に行われたその他の労働条件の改善状況、組合との合意の存在等の諸事情をも総合的に勘案すると、本件定年制を定めた就業規則の変更は、それによって控訴人が被った賃金面の不利益を勘案しても、なお、定年制度改革期における労働条件の定めとして合理性を失うものではないと認めるのが相当である」(四五丁裏以下)と判示する。

しかしながら、実質満五八歳定年制を採用していないとする前記認定は事実誤認であることすでに詳細に論述したとおりであり、原判決の認定によっても、上告人は、停年後在職制度の下でも満五八歳まで一貫した賃金体系の下で勤務することができる期待的利益を有していたのである。

そして、右利益は法的「保護に値する」期待的利益であるというべきであるから、代償措置またはそれに代替しうるだけの実質を備えた労働条件の改善なくして、これを奪うことはできないのであり、そのことは、「賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更については、当該条項が、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合において、その効力を生ずる」とする前記大曲農協事件最高裁判決の当然の帰結でもある。

しかも、原判決も述べるように、本件定年制は、満五五歳に遡って大幅な賃金ダウンをもたらすものであるから、「原則としてたやすくその合理性を肯定することができない」というべきであり、本件のように、その代償措置やそれに代替しうる実質を備えない労働条件の改善がなされていない以上、なおさら合理性を肯定することはできないというべきである。

また、原判決は、本件定年制の合理性を肯定する理由のひとつとして、「定年制度改革期における労働条件の定めとして合理性を失うものではない」と論理を持ち出しているが、「定年制度改革期」だからといって、労働者の権利が不当に奪われてよいことにはならない。原判決の右理由は、何ら合理的根拠を示すものではない。

2 さらに、原判決は、「本件定年制の導入によって、控訴人のような五五歳直前の高年齢層行員の受ける影響が実際上最も深刻であったことは明らかであり、これを緩和するためには、控訴人の主張するように、従前の定年後在職制度をも残し、該当層行員にそのいずれかを選択させるようなことも考えられる。しかし、このような経過措置をとることは、該当層行員を異なる労働条件のグループに分けることになり、その処遇や人事管理、さらには行員間の感情面等で好ましくない結果をきたすおそれもないではない。したがって、右経過措置をとるかどうかは当該企業の経営判断に委ねるほかないことであり、被控訴人銀行がこれをとらなかったことをもって、本件就業規則の変更が合理性を欠くとすることはできない」(四六丁)と判示する。

ところで、原判決も指摘するように、本件定年制の導入によって最も深刻な不利益を被るのは、上告人のような五五歳直前の、高年齢層行員であった。右該当層は、満五五歳の達令によって賃金が大幅にダウンし、従来の定年後在職制度のもとで受けられる賃金や退職金を前提にして計画していた住宅ローンの返済、進学を控えた子どもの教育プラン、住宅の補修計画(控訴人の場合)、さらには老後の生活設計といった本人や家族の生活プランを根底から変更することを余儀なくさせられたのである(甲第一九号証の一ないし四参照、上告人・原審第一三回一九丁)。

また、右該当層は、満五五歳に達して大幅な賃金ダウンを余儀なくされ、上告人の場合も満五五歳を境に大幅な賃金ダウンとなり、昭和六〇歳四月から六一年三月の年間収入は、二〇才以上も若い三三歳の非役付者の行員の年収よりも四万円余り低くなり、昭和六一年四月から六二年三月の年間収入は同行員との比較では実に八七万円余り低くなった。さらに昭和六二年四月から六三年三月の年間収入は、二六歳の入行四年後の行員よりも二七万円余も低くなっている(甲第一六六号証の一ないし三)。

そこで、本件のように定年延長とひきかえに賃金の大幅な切り下げを実施するような場合は、経過措置として、労働条件の変更に直接的な影響を受ける労働者とくに上告人のような該当層に対しては、それまでの定年後在職制度を選択しうる余地を残しておくべきであり、これは、従来の停年後在職制度ものとで人生の生活設計をたてていた該当層の切実な要求でもあった。

従業員組合は、昭和五八年二月一日に被上告人銀行から示された定年延長に関する回答(乙第七〇号証)に対して、団体交渉において、「安定した生涯生活を確保する観点からも、また慣行として築き上げてきた停年後在職制度を踏まえれば、年間賃金水準が五四才時の六三%〜六六%では率直に言って不満と言わざるを得ない」(乙第七六号証)、「とりわけ五五才に近い人は五八才までの従来の賃金水準を前提にして将来の生活設計を立てているために、その大幅な削減に対する早急な対応も困難である」(乙第三九号証)として被上告人銀行に再考を求めていた。

これに対し、三月八日に被上告人銀行から出された第二次回答は、該当層の被る重大な不利益をほとんど解消するものではなく、加算本俸が五万八〇〇〇円から五万五〇〇〇円にわずか三〇〇〇円少なくなったという程度で、満五五歳達令後の賃金の大幅切り下げという点では、ほとんど変わりのないものであった(甲第一九二号証)。

それにもかかわらず、従業員組合は、三月一一日の支部長会議で「定年延長要求について終息方向を確認」し(乙第八四号証)、さらに、三月二八日の中央委員会において、「各人には、それぞれの生活プランがあり、直近者のための経過措置として定年後在職を選択できるような方法も考えられないか」という該当層からも切実な意見が出されたが(乙第八八号証)、これについても無視し、ついに該当層に対する選択制度とか経過措置といった特別の配慮を何ら検討することなく、三月三〇日、労働協約の妥結協定をしたのである(上告人・原審第一三回三〇丁)。

このように右労働協約に基づく本件定年制の導入は、該当層が被る著しい経済的不利益について、該当層の切実な要求を無視するものであり、該当層に対してかかる配慮を欠いた本件定年制の不合理性は明らかである。

原判決は、このような経過を全く無視し、「このような経過措置をとることは、該当層行員を異なる労働条件のグループに分けることになり、その処遇や人事管理、さらには行員間の感情面等で好ましくない結果をきたすおそれもないではない」と判示するが、右認定は、原審裁判官の憶測や弁解の域を出ないものであって、そのような憶測をもとに、上告人をはじめとする中高年齢層行員に多大な不利益を強いる原判決の判断は極めて遺憾である。

六 結論

よって、「本件就業規則の変更は有効と認めるべきである」とした原判決には、就業規則の変更に関する法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。

○ 上告理由書(二)記載の上告理由

〈省略〉

別表(一)

控訴人の定例給与(主事2級)

支払年月日

基本本俸

加算本俸

資格手当

家族手当

役付手当

支給総額

S58.3.20

196,970

139,900

8,500

79,800

425,170

S58.4.1

144,070

55,000

141,900

8,500

79,000

428,470

S58.6.1

146,370

56,500

147,400

8,500

81,500

440,270

S59.4.1

148,470

56,500

147,400

8,500

81,500

442,370

S59.6.1

150,670

58,100

153,100

8,500

84,500

454,870

S59.12.20

150,670

0

153,100

8,500

84,500

396,770

S60.4.20

152,870

0

159,300

8,500

88,000

408,670

S61.4.20

154,670

0

164,500

8,500

91,200

418,870

S61.12.20

154,670

0

164,500

8,500

41,200

368,870

S62.4.20

155,270

0

168,100

8,500

42,400

374,270

S63.4.20

155,970

0

172,900

8,500

43,400

380,770

H1.4.20

156,470

0

179,200

8,500

44,400

388,570

H1.11.4

156,470

0

179,200

8,500

44,400

388,570

別表(二)

臨時給与中の資格別定額(主事2級)

支払年月日

資格別定額

備考

S57.6

575,000

S57.12

602,000

S58.6

586,000 (252,000)

( )内は55歳以上の者の金額

S58.12

615,000 (272,000)

S59,6

603,000 (260,000)

S59.12

634,000 (281,000)

S60.6

623,000 (268,000)

S60.12

656,000 (294,000)

S61.6

634,000 (270,000)

S61.12

670,000 (302,000)

S62.6

602,000 (252,000)

S62.12

647,000 (296,000)

S63.6

590,000 (244,000)

S63.12

631,000 (309,000)

H1.6

567,000 (233,000)

H1.12

613,000 (303,000)

1.臨給は下記の式で算出される。

上記 (基本+加算+家族手当+役付手当)×330%+(資格別定額)

下記 (基本+加算+家族手当+役付手当)×350%+(資格別定額)

2.控訴人の本件新定年制導入前(昭和57年)の臨給

上記  1,516,391円   下記  1,600,445円

債権目録(一)

支払年月日

旧定年制

による支払額

新定年制

による支払額

差額

S59.12.10

1,690,195

1,366,879

323,316

12.20

454,870

396,770

58,100

S60.1.20

454,870

396,770

58,100

2.20

454,870

396,770

58,100

3.20

454,870

396,770

58,100

4.20

470,570

408,670

61,900

5.20

470,570

408,670

61,900

6.20

470,570

408,670

61,900

6.21

1,650,191

642,055

1,008,136

7.21

470,570

408,670

61,900

8.20

470,570

408,670

61,900

9.20

470,570

408,670

61,900

10.20

470,570

408,670

61,900

11.20

470,570

408,670

61,900

12.10

1,745,445

668,055

1,077,390

12.20

470,570

408,670

61,900

S61.1.20

470,570

408,670

61,900

2.20

470,570

408,670

61,900

3.20

470,570

408,670

61,900

4.20

484,270

418,870

65,400

5.20

484,270

418,870

65,400

6.19

1,689,241

644,055

1,045,186

6.20

484,270

418,870

65,400

7.20

484,270

418,870

65,400

8.20

484,270

418,870

65,400

S61.9.20

484,270

418,870

65,400

10.20

484,270

418,870

65,400

11.20

484,270

418,870

65,400

12.10

1,789,195

671,056

1,118,139

12.20

484,270

368,870

115,400

S62.1.20

484,270

368,870

115,400

2.20

484,270

368,870

115,400

3.20

484,270

368,870

115,400

4.20

494,770

374,270

120,500

5.20

494,770

374,270

120,500

6.18

1,674,071

558,555

1,115,516

6.20

494,770

374,270

120,500

7.20

494,770

374,270

120,500

8.20

494,770

374,270

120,500

9.20

494,770

374,270

120,500

10.20

494,770

374,270

120,500

11.20

494,770

374,270

120,500

12.10

1,235,727

417,758

817,969

12.10

554,618

187,497

367,121

12.20

494,770

374,270

120,500

S63.1.20

494,770

374,270

120,500

2.20

494,770

374,270

120,500

3.20

494,770

374,270

120,500

4.20

494,270

380,770

114,000

5.20

494,770

380,770

114,000

6.16

1,674,071

553,255

1,120,816

6.20

494,770

380,770

114,000

7.20

494,770

380,770

114,000

8.20

494,770

380,770

114,000

9.20

494,770

380,770

114,000

10.20

494,770

380,770

114,000

11.20

494,770

380,770

114,000

12.9

1,790,345

620,805

1,169,540

12.20

494,770

380,770

114,000

H1.1.20

494,770

380,770

114,000

2.20

494,770

380,770

114,000

3.20

494,770

380,770

114,000

4.20

494,770

388,570

106,200

5.20

494,770

388,570

106,200

6.19

1,674,071

544,805

1,129,266

6.20

494,770

388,570

106,200

7.20

494,770

388,570

106,200

8.20

494,770

388,570

106,200

9.20

494,770

388,570

106,200

10.20

494,770

388,570

106,200

11.4

494,770

388,570

106,200

12.8

1,235,727

425,903

809,824

総計

47,513,097

30,787,278

16,725,819

1.定期昇給は主事2級標準として2,000円とする。

2.役付手当は部長補佐とする。

3.資格手当は主事2級とする。

4.S62.12.10の臨給は7/1〜11/4(127日)と11/5〜12/31(57日)で日割計算

5.臨時給与は下記の算式で計算

上期 (基本+加算+家手+役手)×3.3+資格別定額

下期 (基本+加算+家手+役手)×3.5+資格別定額

債権目録(二)

支払年月日

旧定年制

による支払額

新定年制

による支払額

差額

S59.12.10

1,690,195

1,366,8779

323,316

12.20

454,870

396,770

58,100

S60.1.20

454,870

396,770

58,100

2.20

454,870

396,770

58,100

3.20

454,870

396,770

58,100

4.20

450,570

408,670

61,900

5.20

450,570

408,670

61,900

6.20

470,570

408,670

61,900

6.21

1,650,191

642,055

1,008,136

7.21

470,570

408,670

61,900

8.20

470,570

408,670

61,900

9.20

474,570

408,670

61,900

10.20

470,570

408,670

61,900

11.20

470,570

408,670

61,900

12.10

1,745,445

668,055

1,077,390

12.20

470,570

408,670

61,900

S61.1.20

470,570

408,670

61,900

2.20

470,570

408,670

61,900

3.20

470,570

408,670

61,900

4.20

484,270

418,870

65,400

5.20

484,270

418,870

65,400

6.19

1,689,241

644,055

1,045,186

6.20

484,270

418,870

65,400

7.20

484,270

418,870

65,400

8.20

484,270

418,870

65,400

9.20

484,270

418,870

65,400

10.20

484,270

418,870

65,400

11.20

484,270

418,870

65,400

12.10

1,789,195

671,056

1,118,139

12.20

484,270

368,870

115,400

S62.1.20

484,270

368,870

115,400

2.20

484,270

368,870

115,400

3.20

484,270

368,870

115,400

4.20

494,770

374,270

120,500

5.20

494,770

374,270

120,500

6.18

1,674,071

558,555

1,115,516

6.20

494,770

374,270

120,500

7.20

494,770

374,270

120,500

8.20

494,770

374,270

120,500

9.20

494,770

374,270

120,500

10.20

494,770

374,270

120,500

11.4

494,770

374,270

120,500

12.10

1,235,727

417,758

817,969

合計

28,709,785

19,280,133

9,429,652

S62.12.10の臨給は7/1〜11/4(127日)と11/5〜12/31(57日)で日割計算

計算書(一) 債権目録(二)よる利息相当分

被補填

年月

差額

補填月

支払額

充当額

充当後

残高

利息相当額

月数

59.12.10

323,316

62.12

187,497

374,270

323,316

238,451

58,196

36

12.20

58,100

58,100

10,458

60.1.20

58,100

58,100

10,167

35

2.20

58,100

58,100

9,876

34

3.20

58,100

58,100

6,051

9,586

33

4.20

61,900

6,051

968

32

63.1

374,270

55,849

9,215

33

5.20

61,900

61,900

9,903

32

6.20

61,900

61,900

9,594

31

6.21

1,008,136

194,621

30,166

63.2

374,270

374,270

59,883

32

3

374,270

374,270

61,754

33

4

380,770

64,975

315,795

11,045

34

7.21

61,900

61,900

10,213

33

8.20

61,900

61,900

9,903

32

9.20

61,900

61,900

9,594

31

10.20

61,900

61,900

9,285

30

11.20

61,900

61,900

6,295

8,975

29

12.10

1,077,390

6,295

881

28

63.5

380,770

380,770

55,211

29

6

553,255

553,255

82,988

30

6

380,770

137,070

243,700

20,560

30

20

61,900

61,900

181,800

9,285

30

61.1.20

61,900

61,900

119,900

8,975

29

2.20

61,900

61,900

58,000

8,665

28

3.20

61,900

63,6

58,000

7,830

27

7

380,770

3,900

546

28

4.20

65,400

65,400

311,470

8,829

27

5.20

65,400

65,400

246,070

8,502

26

6.19

1,045,186

246,070

30,758

25

63.8

380,770

380,770

49,500

26

9

380,700

380,770

51,403

27

10

380,770

37,576

343,194

5,260

28

6.20

65,400

65,400

9,156

28

7.20

65,400

65,400

8,829

27

8.20

65,400

65,400

8,502

26

9.20

65,400

65,400

8,175

25

10.20

65,400

65,400

16,194

7,848

24

11.20

65,400

63,10

16,194

1,862

23

11

380,770

49,206

331,564

5,904

24

12.10

1,118,139

331,564

38,129

23

12

620,805

620,805

74,496

24

380,770

165,770

215,000

19,892

24

12.20

115,400

115,400

99,600

13,848

24

62.1.20

115,400

99,600

11,454

23

H1.1

380,770

15,800

1,896

24

2.20

115,400

115,400

13,270

23

3.20

115,400

115,400

134,170

12,693

22

4.20

120,500

120,500

13,670

12,652

21

5.20

120,500

13,670

1,366

20

2

380,770

106,830

273,940

11,217

21

6.18

1,115,516

2

273,940

27,393

20

3

380,770

380,770

39,980

21

4

388,570

388,570

42,742

22

5

388,570

72,236

316,334

8,307

23

6.20

120,500

120,500

13,857

7.20

120,500

120,500

13,254

22

8.20

120,500

75,334

7,910

21

6

544,805

45,166

4,968

22

9.20

120,500

120,500

12,652

21

10.20

120,500

120,500

12,049

20

11.20

120,500

120,500

138,139

11,447

19

12.10

817,969

138,139

12,432

18

6

388,570

388,570

34,971

18

7

388,570

291,260

97,310

27,669

19

9,526,962

9,429,652

1,218,794

794

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